日本における、最も高い権威を持っていた音楽評論家である吉田秀和さんが亡くなられた。
僕個人としては、この人の評論に心動かされた事は、あまり無かったのだが、吉田秀和といえば、忘れられないのは、1983年の、大ピアニスト、ヴラディーミル・ホロヴィッツの来日公演を、「ひびの入った骨董」とテレビで評した事であろう。
あの一言で、日本中の音楽ファンが流され、「ホロヴィッツは終わった」とか、「これはボロヴィッツ」だとか、雑誌などでの馬鹿評論家たちや、ラジオやテレビで様々な俗物たちが、ホロヴィッツをけなしまくった事は、今でも鮮明に思い出される。僕も、あの来日公演は聴きに行ったが、初日のボロボロのテレビ生中継を見て、覚悟して出かけたため、50年以上人々を魅了してきたホロヴィッツの業績に感謝しつつ、ミスタッチなどは、全て耳フィルターにかけ、ホロヴィッツにしか出せないピアノの音に魅了された。
僕も、「ホロヴィッツは終わった」と思った。しかし、ホロヴィッツは奇跡の復活を遂げ、1986年に再び来日し、僕も聴きに行ったが、本当に素晴らしいコンサートだった。吉田秀和も賞賛していた。
コンサート直後とはいえ、1983年のホロヴィッツを「ひびの入った骨董」と語った吉田秀和の言葉は、僕は今でも失言だったと思っている。歴史的大ピアニストであるホロヴィッツに対する「思いやり」の気持ちが少しでも有れば、あの言葉は出なかっただろうと思う。自分で演奏する苦労も知らないくせに、のぼせ上がった評論家が醜態を晒した典型的な出来事であった。それに流される、主体性が無く権威に弱い日本の愚かな音楽ファンたちも、低レベルとしか言いようが無い。
僕自身は、音楽評論家を「悪職」だと思っており、おそらく今から、低レベルな日本の評論家気取りの音楽ファンたちの追悼の言葉が、音楽雑誌をにぎわす事になるのであろうが、僕としては、今回の訃報に、悲しいとか、心が動く事は無かった。