セルジウ・チェリビダッケ。20世紀最高の指揮者の一人である。もう生誕100年か。時が経つのは速いものである。とにかく、ロンドン交響楽団と来日した時のムソルグスキー(ラヴェル編)の「展覧会の絵」をFMで聴いてショックを受け、1986年のミュンヘン・フィルとの来日を皮切りに、沢山のコンサートに通った。とにかく物凄い指揮者で、演奏に圧倒されっぱなしであった。
生前は、変人指揮者としても有名で、毒舌、オーケストラに常識はずれのリハーサル時間を要求するばかりか、レコーディングを否定し、殆ど録音を残さなかったチェリビダッケだけに、その芸術に触れるには、コンサートに行くしか無く、生演奏に沢山触れる事が出来た僕は幸せ者であった。なお、変人指揮者として有名だったチェリビダッケだが、舞台上では超一流のエンターテイナーであり、茶目っ気も有り、変人ぶりは、かけらも感じられなかった。演奏後は、各パートの奏者を次々に起立させて、ねぎらいの気持ちを表すなど、指揮者の模範を示していただけでなく、「変人」というより「好々爺」という印象で、もちろん聴衆を大切にしており、満場の拍手を嬉しそうに浴び続けていた。これは意外であった。
チェリビダッケの死後、放送局などに保存されていた録音が次々にCD化され、ファンとしては嬉しい限りだったが、中でも、ミュンヘン・フィルとの日本公演がCD化された事は、客席にいた僕としては、これ以上の喜びは無く、感慨を新たにした。
しかし、生を聴いて分かったのだが、チェリビダッケ独特のテンポ設定とフレージングの神髄は、生でなければわからず、チェリビダッケが録音を否定していた理由がよくわかるのだが、CD化された録音で、生を知らない音楽ファンに、どこまで理解できるかはわからない。
残念ながら、CD化されたチェリビダッケの録音は、極論すれば、生を聴いた人が思い出を反芻するための物という見方もでき、どこまでチェリビダッケの凄さが伝わるかわからないが、生を聴く事が不可能な現在、一人でも多くの人にCDを聴いてもらい、その中の一部にでも、チェリビダッケの神髄を聴き取れる人がいれば、これ以上の喜びは無い。
チェリビダッケのCDで、一組だけ選べと言われれば、1986年来日公演の、R.シュトラウス「死と変容」とブラームスの交響曲第4番である。特にブラ4は、ミュンヘン・フィルが、自身の最高の演奏として録音を探していたという伝説の名演で、客席で聴いていた僕は、最初の一音から最後まで、あまりの凄さに固まってしまい、演奏後、正気に戻って気が付いたら拍手していたという、あっという間の出来事であった。終楽章のクライマックスでは、チェリビダッケの叫び声も収録されている。2枚組で、アンコールも収録されており、特に、ヨハン・シュトラウスの「ピチカート・ポルカ」では、聴衆の笑いが起こっているが、これは、チェリビダッケが超一流の茶目っ気を見せた瞬間であり、ライナーノートで種明かしがされている。このコンサートは、僕の人生でも最高のコンサートの一つとして、一生、記憶に残るであろう。