今日のTBS報道特集で、精神系の薬が特集されていて、他人事ではない気持ちになった。
僕が向精神薬を初めて飲んだのは、16歳の時であった。元々感受性が豊かで、それが音楽で開花し、後にいくつかの栄光も手にしたが、有り余る感受性を持て余す事が有り、母親に騙されて病院に連れて行かれた。
九州のF大学病院の精神科だったのだが、当時の精神科は、週に一度、予約制で一時間、主治医の先生が、たっぷりと話を聞いてくれて、適した薬を処方してくれて、医師の指示に従って飲んでいたので、トラブルが起こる事は無かった(今は、この病院でも長時間の面接治療は行っていないらしい)。そのうち、薬を飲まなくても心のコントロールが出来るようになり、薬を卒業した。
ところが、時は流れ、詳しくは書かないが、1999年と2002年に、極めてショッキングな出来事が起こり、あまりの忌まわしさに、僕は故郷である九州を捨てて上京した。その際、九州で世話になっていた精神科の先生に、「日本一」という慈恵医大病院の牛島定信先生を紹介してもらった。しかし、牛島先生は、最初こそ一時間話を聞いてくれたが、次の診察からは数分。こんな診察でまともな診療が出来るとは思えないのだが、とにかく日本中から患者が集まって来るので仕方が無いといった感じであった。しかし、「日本一」は伊達ではなく、最小限の診療で的確な薬を処方する牛島先生は、「天才」と云われるだけの事はあった。
当時の牛島先生の見立てによると、当時の僕は極めて重篤な状態だったらしく、大量の薬を処方された。特に、向精神薬の元祖ウインタミン(コントミンも同じ)、それにカクテル薬で最強で、最も「死」に近い薬であるベゲタミンを処方された時は、ちょっと怖くなったが、牛島先生を信頼して指示通りに飲んでいた。
時は流れ、牛島先生が定年で退職されて、別の先生になったのだが、これがもう最悪。実名を公表する。慈恵医大病院の、中西、と、佐藤。とにかく診察時間は最短で、薬の話しかしない。完全にふてくされており、薬だけは大量に処方する。とにかく、ウインタミン25ミリを朝昼晩一錠、寝る前に二錠飲めと言うのである。こんなに強い薬を一日中飲んでいたら、まともな生活など出来ない。他に最強のベゲタミンも有る。他にも抗鬱剤や抗不安剤、睡眠導入剤など、大量の薬を処方されて途方に暮れた。こんなに飲めるはずが無い。仕方なく寝る前だけは飲んでいたが、薬がどんどん貯まって行き、先生に、「飲めません」と、いくら言っても先生は処方する。遂に貯めこんだ薬が致死量に達し、先生に「致死量貯まってるんですけど」と言っても、それでも先生は処方を止めない。医者は薬をたくさん処方すると儲かるのだろうか。とにかく、もうこんな診療は懲り懲りと、僕は慈恵医大病院に別れを告げて、近所の病院に切り替えた。
向精神薬は副作用もきつい。九州の先生によると、僕は特に副作用が出やすい体質らしく、処方には細心の注意が必要との事。それなのに、ろくに話も聞かずに大量の薬を処方する慈恵医大の腐れ医師には呆れてしまう。
特に、ウインタミンとベゲタミンに含まれる塩酸クロルプロマジンには、稀とはいえ、白内障にかかるという副作用が有り、僕は見事にこれに当たり、40代の若さで目が白内障にかかり、両眼手術した。元々の水晶体はピント調節が出来るが、濁った水晶体の代わりに入れる眼内レンズはピント調節が出来ず、メガネを作り、読書やパソコン操作で不便極まりない。一度濁った水晶体は二度と元に戻る事は無く、運転免許の更新も出来ないので、手術は仕方が無かった。
また、ベゲタミンには、フェノバルビタール等の危険な成分も含まれており、これが原因でふらつきを生じ、階段から落ちて、危うく死ぬところだった。足を骨折したが、生きていたのは不幸中の幸いであった。
今も貯めこんだウインタミンが500錠以上、ベゲタミンも沢山ある。これが捨てられないのである。僕は命懸けで生きており、いざとなったら自分で自分の始末をつける覚悟が出来ている。「いよいよとなったら、これらの薬を飲んで死んでしまえばいい」と思う事で、心の安息を保っている部分が無いと言えば嘘になる。
しかし、時間が解決してくれる部分も有り、心の傷はどんどん回復し、近場の病院では、不要な薬を次々に減らしてくれて、ウインタミンもベゲタミンも今は飲んでおらず、軽い薬が寝る前に残るだけになった。もう一息である。
ストレス社会である。精神疲労に見舞われて、病院を訪ねる人も多いと思うが、とにかく、念を入れて病院を選ぶ事。薬を処方されたら、例えば、おくすり110番などで、効能や副作用を知った上で飲まれる事をお勧めする。
皆様の心に、安らぎが訪れる事を、願ってやみません。