吉田秀和は、偉大な音楽評論家だったのかもしれない。しかし、僕は、1983年のホロヴィッツの演奏を、「ひびの入った骨董」と評した事だけは、絶対に許せない。これについては、吉田秀和が亡くなった時にも記事を書いた。こちらがそれだが、これにはコメントが付き、反論を書いた。
今日の「クローズアップ現代」は、吉田秀和の全てを肯定するような報道であり、僕は、音楽雑誌を読まないが、今頃雑誌では吉田秀和を追悼する投書でにぎわっているのかもしれない。
とにかく、自分で演奏する苦労を知らない俗物が、演奏家が命懸けで行っている演奏を好き勝手に書き散らかす事は、絶対に許されず、吉田秀和も、誰が何と言おうと、僕は低レベルな俗物評論家だったと思っている。
僕も、幼少時からヴァイオリンの修行を続け、今でもコンサート一つ開く事が、どれほど大変か知っている。その命懸けのパフォーマンスを好き勝手に書き散らかす「音楽評論家」という職業は、世の中には色々な仕事が有るが、最悪の仕事の一つだと思っている。