さっき、テレビでサッカーを見ていたら、京王相模原線で人身事故が有り、電車が止まっているとの事。「人身事故」と言えば、答えは一つである。駅のホームで自分の全てを終わりにしてしまいたいという心理に取りつかれたのだと思うが、鉄道の「人身事故」は悲惨である。
僕も一度遭遇した事が有るが、あれは見るものではない。まず、ちぎれた手や足を集める救急隊員がいる。手足には、こんなに多くの管や筋が有るのかと初めて知った。止めは、首から切断された生首を、髪の毛を持ってぶら下げて運んでくる救急隊員がいる。この光景はショックだったな。とにかく、あんな事故に遭遇するのは二度と御免である。
話はそれるが、以前、TBSのドラマ「仁」で、「神は乗り越えられる試練しか与えない」という馬鹿げた教訓を、もっともらしくPRしていた事が有ったが、それならどうして年間3万人を超える人が自殺するのか。自殺する人が「弱い」とは思わない。僕は、両親を自殺で失った。特に、母親は、鉄道自殺と並ぶ悲惨な手段で、「最も苦しい」と言われる手段であった。遺体を見た僕は重篤なPTSDにかかり、今でも薬を飲んでいる。詳述は避けるが、自殺に至る両親の苦悩は想像を絶するものが有る。「神は乗り越えられる試練しか与えない」とは、世間知らずの甘ちゃんの考えであり、こんな低レベルな作者こそ、自ら命を絶つべきである。
自分も、いざとなったら自分で自分の始末をつける覚悟は出来ているつもりだが、「死に方」については、出来るだけ人に迷惑やショックを与えない方法を選びたい。鉄道自殺のようなショッキングな手段は行いたくない。死ぬのは自由だが、死に方を考えてほしいのと、国には、自殺防止対策に関する積極的な対策を望みたい。もちろん、自分で死にきれず、死刑にしてもらうために殺人を犯すようなわがままな考えは、論外である。死ぬのは自由だが、巻き添えを生じさせるのは、絶対に許せない。