幼い頃から父親の精神的、肉体的暴力に苦しめられていた僕だが、心のねじ曲がった父親の横暴に始まったこの人生。父親との対立の中、板挟みになった母親が、1999年、焼身自殺。黒焦げの遺体を見た僕は、重篤なPTSDに苛まれてしまった。もう父親は許せない。
父親を、厳しい修行で有名なお寺に放り込み、帰ってきた父親は、自分の愚かさに気づいているようであった。しかし、戦争に関する歴史観の違いなど、まだまだ解決しなければならない問題は多かった。それから毎日、夜遅くまで父親を説得し、ようやく父親は自分の非を認め、僕に土下座して謝った。
これで解決かと思ったのだが、僕は父親から信じてきた価値観の全てを奪ってしまった事に気づいていなかった。戦前の教育は、明らかな誤りである。しかし、「天皇陛下は神様」を基本とする刷り込まれた知識が、全て間違いだったと気づいた父親は、この上ないショックを受けたと思われ、その意味では、父親も戦争の被害者である。
価値観の全てが逆転した父親は、これが原因で、重いうつ病になり、病院に通っていたのだが、2002年、何の前触れも無く首吊り自殺。「未熟な老兵が、するべき事は、ただ一つ。速やかに命を絶つ事のみ。葬儀不要、焼き捨ててください」。これが遺書だった。「老兵」という言葉が全てを物語っているが、父親の苦悩は想像を絶するものであったと思われる。しかし、ねじ曲がった精神による横暴に苦しめられた家族の苦しみも、普通の家庭ではありえない想像を絶するものであった。
僕は今でも、両親の見合い結婚が間違いであったと思っている。これさえ無ければ、僕が生まれる事も無く、僕が人生の理不尽な苦しみを味わう事も無かったからである。栄光も名声も何もいらない。僕は今でも、自分は生まれなかった方が良かったと思っている。もちろん、生まれた以上、懸命に生き、我ながらよくやったとは思っているが。
そんなこんなで、無駄な数十年を浪費し、僕は今49歳。心の傷も回復し、長年副作用に苦しめられたメジャー・トランキライザーを飲まなくて済むようになり(最大の副作用は、ウインタミンとベゲタミンに含まれる塩酸クロルプロマジンによる白内障で、手術以外に解決策が無く、この手術により、僕の目はピント調節機能が失われ、近くを見る時はメガネが欠かせない。ヴァイオリンを弾くようになれば、楽譜を見るための新たなメガネを作らなければならない)、ようやく体が軽く感じるようになり、人生再出発。と行きたいところなのだが、僕は無駄に歳を取りすぎた。オーケストラなどの仕事は年齢制限で、もはやもらえない。今の唯一の目標は、江藤先生に叩き込まれたブラームスのソナタ全曲演奏会を開く事である。ブラームスは得意中の得意だから、これだけは絶対に実現させたい。
本音を言わせてもらえれば、コルンゴルトは素晴らしい作曲家である。誰も知らない頃に、コルンゴルトの素晴らしさに目覚め、江藤先生と二人三脚で日本初演までこぎつけた。しかも、これは日本の舞台で最初に響いたコルンゴルトの作品であった。権威に弱い日本の楽壇で、誰よりも早くコルンゴルトの素晴らしさに注目し、日本初演までこぎつけた僕の業績は、もっと評価されるべきである。今まで色々なソリストでこの曲を聴いたが、ヘタクソばかりである。曲の良さのかけらもわかっていないし、これでは弾く意味が無く、それでギャラをもらっているのだから、これは泥棒に等しく、日本の楽壇のレベルの低さを象徴している。凡庸な演奏しか出来ないソリストは恥を知って、稼いだ金を全て東日本大震災復興のために寄付し、死ぬべきである。こんな凡演ばかりでは百害あって一利なし。コルンゴルトの素晴らしさが広まる筈が無い。馬鹿という言葉でも形容できない救いようのないヘタクソソリストばかりである。こんなヘタクソに、生きている価値など無い。「身の程をわきまえて、生き恥を晒す前に、自分で自分の始末をつけろ!」と言いたい。
これからどうして生きていくかの目途は全く立っていない。40代で年齢制限というのも解せないが、これが現実だから仕方がない。しかし、僕が楽壇をリタイアした直接の原因は、某オーケストラのお偉方が、自分の過失を覆い隠すために、僕には何の非も無いのに、僕を一方的にクビにした事である。誰とは言わないが、僕はこの人間を、今でも殺したいと思っている。僕の心は怨念で煮えたぎっている。重職に就いたら命がけで全うするべきである。それが出来ない愚かでいい加減な俗物は死刑にも値する。最善の策は、この男が切腹して自分の罪を清算する事である。それが出来ないようであれば、僕が殺す。僕は命がけで生きている。いざとなったら自分で自分の始末をつけるつもりである。
とにかく、学生時代からコルンゴルトなどという先生たちも知らない作曲家の曲を信念を持って弾いていた僕だが、馬鹿な教師たちの評価は悲惨なものであった。日本の楽壇のレベルが如何に低いかを象徴する出来事だが、このまま知られざるパイオニアとしては終わりたくない。コルンゴルトの本当の素晴らしさが世に認められ、パイオニアである僕の業績が社会的に認知されることを願ってやまない。出来れば、数少ないコルンゴルト仲間の人たちと、日本コルンゴルト協会を設立する事が夢である。第一人者としての名誉も得られず、ただ日陰のパイオニアで終わる事は絶対に嫌だし、それを許すような日本の楽壇には何も期待できない。しかし、最高傑作であるヴァイオリン協奏曲日本初演から20年以上、「期待は失望の母である」という名言が、どうしても頭をよぎってしまう。