今年の紅白は圧巻であった。三角を基調にした舞台装置で繰り広げられる、歌ごとに変わる変幻自在な舞台演出一大絵巻。K-POPの歌も新鮮だった。今年はどう見ても紅組の勝ち。これは動かないが、白組も見事であった。特に最後のSMAPは見事。今年は特に、歌ごとの演出が変幻自在で、歌の合間のスタッフたちにも拍手を贈りたい。いい年末を迎えられた。さすがNHK!これら歌の持つ力が震災者の皆様のパワーになりますように。来年がいい年になりますように。皆様、良いお年をお迎えください。
今年の紅白
明けましておめでとうございます。
昨年は激動の年でした。特に、東日本大震災の被災者の方々にとっては、新年どころではないかもしれない。福島第一原発はいつ終息するかもわからない。場合によっては数十年かかるかもしれない。退避されておられる方々の心中を思うとやりきれない気持ちになる。しかし、何とか希望を持って、明るい明日に向けて、頑張って欲しい。かける言葉に困るが、「絆」、これを軸に、日本が一つになる事を願ってやまない。今年が実りある年になる事を祈りたい。
マランツ#7のパイロットランプが切れた。
数週間前から点いたり消えたりしていたのだが、今日になって全く点かなくなった。しかし、僕が入手したマランツ#7は、店頭展示品で殆ど使われていないものではなかったのか。店頭で電源入れっぱなしだったのか。腑に落ちないが、蓋を開けて各部の電圧をチェックしても、セレンの劣化は感じられないし、実際音も素晴らしい。50年以上昔に作られた電球だから、現在の電球よりも品質が落ちる事は、十分考えられる。僕はメンテ用に、マランツ7Kキットを持っており、これから流用して新品の電球に交換したのだが、今までよりも暗い。定格電圧が違うのかもしれない。しかし、暗いという事は、それだけ電球が長持ちするという事だから、とりあえず良しとしよう。究極を追求するなら、電源を整流して抵抗を入れ、白色LEDにする事だと思うが、今回は代替えの電球が有ったので、これでしばらく使ってみようと思う。
それにしても、マランツと心中する覚悟を決めて入手したマランツ7Kキットだが、これは、オリジナルとは似て非なる全くの別物である。パーツのグレードを別としても、切り替えスイッチのシャフトの太さは違うし、電球の明るさも違う。プレッシーの紙コンデンサや国産ソリッド抵抗の品質の低さは、今さら言うまでもない。これでは良い音は求めるだけ無駄である。
しかし、僕はマランツ#7オリジナルを入手するまでは、マランツと同じ回路で、パーツを最新にしたプリアンプを使っていた。音には満足していたが、レプリカは知らないが、オリジナルマランツ#7と比べると、何ともギラギラした悪い意味で艶っぽい音である。パーツの性能は上がっているのだろうが、50年以上昔に作られたマランツ#7の音には、言葉では言い表せない味が有る。これは、今となっては旧式の、アーレン・ブラッドレーのソリッド抵抗に、バンプルビーのオイルペーパーコンデンサだからこそ出る音なのであろう。オーディオの奥深さに、改めて恐れ入っているところである。
オリジナルのマランツ#7は多数出回っているが、50年以上前に作られたアンプだから、当然劣化しており、劣化していないとしても、改造されていたり、修理の際にオリジナルと違うパーツに交換されていたりと、本当のオリジナルの音を保っているものは少ない。僕のマランツ#7は、中身はオリジナル無改造、外側は、ツマミをシャンペンゴールドの新品に、ノブは茶色マーブルの新品に交換し、一見すると古いアンプには見えない。マランツの普遍的なデザインは、現在のアンプにも踏襲されている。全くもって画期的なデザインと言えよう。ウッドケースは、多数流通している突板仕上げではなく、木の無垢で手塗りでニスを塗った味わい深いもの。電源スイッチのスライドスイッチだけが時代を感じさせるが、これは変更のしようが無い。これからどんなトラブルが待ち受けているかわからないが、愛着を持って使い続けようと思う。
カラヤンの「悲愴」1971年EMI盤SACD
近代的なスタイルのチャイコフスキー「悲愴」と言えば、真っ先に思い浮かぶのがムラヴィンスキーの演奏。あんな完璧無比な演奏は二度と現れないかと思われていた(ちなみに古いスタイルの代表はメンゲルベルクとフルトヴェングラー)。1971年、カラヤン/ベルリン・フィルは絶頂期にあった。そんなカラヤンが、本気でムラヴィンスキーを超えようと録音したのがこの演奏。全盛期のカラヤン/ベルリン・フィルの面目躍如の演奏である。特に三楽章の迫力は凄い。今回SACD化され、音質が格段に良くなった。今日届いたのだが、改めて聴いて、全盛期のカラヤンの凄さを再認識した。4、5、6番のセットで6000円だが、これはお買い得である。特に「悲愴」が凄い。コンマスの席にシュヴァルベが座っているのだろう。大好きな4番2楽章の中間部も感動的。SACDハイブリッドだから、普通のCDプレーヤーでも再生できるが、特にSACDプレーヤーを持っている人は必聴である。
ああ、愛しの藤原由紀乃さん。
「愛しの」と言っても恋愛沙汰ではない。彼女は既に結婚している。ここで言いたいのはピアニスト藤原由紀乃さんのピアニズムの素晴らしさである。2006年のリサイタルで、僕は大枚はたいて彼女に頼んだ。これは大成功であった。ただ、予期せぬアクシデントが起きて、彼女には迷惑をかけてしまった。藤原さんのお母様にも大変なお世話になった。彼女は僕との共演は、もう懲り懲りと思っているかもしれない。しかし、もう一度彼女と弾きたい。リサイタル当時は、最強の薬を含む薬漬けで、副作用により手が痙攣してしまった。現在、ようやくメジャー・トランキライザーの呪縛から解け、軽い薬だけで生活できるようになった。もう手が痙攣する事は無い。彼女は、日本人離れの音楽性の持ち主で、「そこルバートして」と頼むと、和声に従った絶妙なルバートをしてくれる。例えば、ドヴォルザークのソナチネ4楽章の再現部への経過を聴いてみてほしい。こんな日本人ピアニストは他にいない。再び藤原由紀乃さんと共演するのは、僕の夢である。
ウインタミン、ベゲタミン
いずれもかつて、僕に処方されていた最強の薬である。主成分は塩酸クロルプロマジン、ベゲタミンには更にフェノバルビタールという極めて危険な成分を含む。日本の権威、牛島先生の処方だから、当時の僕は、そのような精神状態にあったのだろう。何せ両親を自殺で失ったのだから、心の傷は深かった。しかし、これらの薬は副作用もきつい。両薬に含まれる塩酸クロルプロマジンの副作用により、僕は40代で白内障にかかり、両眼手術を受けた。また、ベゲタミンはふらつきを呼び、階段から落ちて危うく死ぬところだった。幸い足の骨折で済んだが、薬を止めると希死念慮などのうつ症状が出るので止められない。2006年のリサイタルで手が痙攣したのも、これらの薬が原因だった。しかし、ここに来て、心の傷がかなり回復し、このような強いメジャー・トランキライザーを止める事が出来た。体が軽い。痙攣も起きない。体調は間違いなく良い方向に向かっている。第二の人生出発、もう一花咲かせたい。
改めてマランツ#7
素晴らしい音を奏でてくれているマランツ#7だが、製造された当時は、まさか50年以上プリアンプの王者として君臨するとは考えられていなかったようである。
まず、殆どのネジがタッピングビス。これは、いずれ馬鹿になる。ピンジャックや真空管ソケットの取り付けはリベットで、ネジではない。これでは接触不良などが起きても交換できない。
腫れ物に触るような気持ちで大切に扱わないと、いずれ取り返しがつかなくなる。画期的な回路設計や、美しい配線を考えると、何ともお粗末だが、理想主義と合理主義の両方を併せ持ったアンプであり、もちろん今さらメーカーのサポートも受けられないから、故障したら自分で修理しなければならない。
マランツ#7は折り紙付きの名機だが、扱いには細心の注意が必要。メンテナンスが出来る人で、良好な状態を維持できる人以外には、とてもお勧めできない。
それでもマランツ#7の音を味わいたければ、レプリカの中古を買う事である。これなら、メーカーのサポートを受けられる可能性が有る。しかし、レプリカは使われているコンデンサなどが異なり、オリジナルの素晴らしい音が出るとは限らない。僕はレプリカの音は知らない。実際、今は完売したが、売れ行きは悪かったと聞いている。
アマチュア無線技士の免許
僕は16歳で第1級アマチュア無線技士(以下1アマ)の免許を取得したが(今は無線通信は行っていない)、当時の試験は一筋縄ではいかない記述式の大変に難しい試験であった。無線工学では最終的な答えを導くまでの途中経過も記述しないと得点がもらえない。法規の試験では、法令文を一言一句違わず記述しないと得点がもらえなかった。
僕が受験した時は、無線工学で、常用対数 log5.7 を算出しなければならないという難問が出たが、計算尺を持っていたので助かった。電気通信術もモールスの欧文、和文、それぞれの送信、受信の試験が有り、和文の受信が天王山と言われていた。
最近の動向をネットで調べて唖然とした。記述試験はマークシート式で、電気通信術では和文が無くなり、欧文の受信だけとの事。送信の試験も無い。こんなに試験を易しくして、何の意味が有るのか。
日本はアマチュア無線に対する見識が甘く、最下級の第4級アマチュア無線技士(以下4アマ)でもかなりの事が出来る。特に、養成課程講習会という制度が有り、レベルの低い4アマを大量生産している。ちなみに養成課程講習会で免許を取った人は、「講習会アマ」と馬鹿にされている。
レベルの低い無線従事者に電波を解放しても、ろくな事が無い。僕が無線をやっていた頃も、オフバンドで平気で通信する悪質な例も有ったが、今はどうなっているのだろう。
4アマでもかなりの事が出来るのに、上級の2アマ、1アマの試験を易しくして何の意味が有るのか。はっきり言えば、これは電気通信管理局の怠慢である。難しい試験を行うには、それ相応の能力を持った試験官が必要になる。今やそのような高度な能力を持った人が不足しているのだろう。
難しい試験を受けて1アマを取得した僕としては、最近のアマチュア無線の試験のレベル低下は腹立たしい限りである。4アマを大量生産する事は、辛うじて良しとしても、見かけ倒しの上級者を大量生産する事には、意味が感じられない。
アマチュア無線の電波帯は、冒険家など、地上との通信手段がどうしても必要な人など、必然的に必要な人にのみ開放するべきである。レベルの低い4アマが電波を占領するばかりか、低レベルな上級アマがハイパワーで電波を汚しまくる事だけは、絶対に避けなければならない。電波を効率よく有効活用される時代が来ることを願っている。
偉大な團伊玖磨先生。
昨年が没後十周年だった。團さんとは何度も仕事をした。中でも、「筑後川」の作曲家指揮によるコンサート、「筑紫賛歌」の作曲家自身による指揮による初演は忘れがたい。昨年は没後十周年だったのだが、これといったイベントは無かった。しかし、團さんは、日本が世界に誇る、20世紀を代表する日本の大作曲家である。僕は音楽家としても、人間としても、團伊玖磨さんを心から尊敬しており、それについては過去に書いた。興味が有る人は検索してみてください。
さて、團さんは数多くの名作を作曲したが、その中で最も親しみやすいのは、二曲の祝典行進曲と、「筑紫賛歌」、「筑後川」であろう。その中で、「筑紫賛歌」、「筑後川」のCDが、廃盤の危機にある。アマゾンでも残り数枚。没後10周年は過ぎたが、これを機に、團さんの素晴らしい芸術に、一人でも多く接して欲しいものである。
グィド・カンテルリ
大指揮者トスカニーニの愛弟子で、トスカニーニが、「私と同じように指揮する」と言ったというグィド・カンテルリ。悲しい事に、飛行機事故で、36歳の生涯を閉じた。当時「死の床」にあったトスカニーニには、ショックを与えてはいけないという事で、この事故は秘密にされた。トスカニーニは、死ぬまで「グィドはどうして見舞いに来ないのか」と繰り返していたという。カンテルリの演奏を聴くと、確かにトスカニーニに似ている。しかし、現在聴けるトスカニーニの演奏は、80歳を過ぎた晩年の演奏が殆どで、アンサンブルなどに乱れが無いともいえない(それが魅力という見方も有るのだが)、その点、カンテルリはトスカニーニに似ているが、アンサンブルも完璧で、もし飛行機事故が無ければ、20世紀最高の指揮者の一人として、名声をものにしていた事は間違いない。半端な才能ではない。そのカンテルリが、EMIに残した全ての録音が、9枚組CDとして発売された。早速予約して購入。まだ全部聴いていないが、かねてより知っていたシューマンの交響曲第4番は、フルトヴェングラーと双璧といえる超名演である。感慨を新たにした。限定盤との事で、これを機会にカンテルリの素晴らしい演奏に触れられることをお勧めしたい。CD9枚組だが、タワーレコードの通販で、2051円。これはお買い得である。僕はポイントを使って500円ほどで手に入れた。願わくば、カンテルリがEMIではなくRCAと契約していれば、NBC交響楽団と超絶的な録音を残せたと思われるだけに残念だが、必ずしも技術的に一流とは言えないフィルハーモニア管弦楽団(ホルンのデニス・ブレインだけは別格)が、カンテルリが振るとNBC交響楽団のような響きになる。海賊盤であれば、カンテルリがNBC交響楽団を振った、例えばハイドンの「V字」など、ものすごい名演が聴ける。これを機に、カンテルリに再び脚光を浴びる事を願いたい。
http://tower.jp/item/3044722/Guido-Cantelli---Mozart,-Beethoven,-Schubert,-etc<限定盤>
10年以上ぶりの富士山
今日は朝から埼玉までドライヴし、音楽家の知人と、ある会合に出た後、昼食を共にした。レストランで話し込み、それでも時間が余ったので、ドライヴ日和でもあるし、一緒にドライヴに出かけた。凍りついた狭いワインディング・ロードをおっかなびっくりドライヴし、山に登って展望台に到着。この展望台に来るのは初めてではなかったのだが、今日は特別。山々の向こうに富士山が見えた。富士山を見るのは十数年ぶりである。日本一の美しい山を見て、久しぶりに感動した。山頂のごみが原因で、世界遺産の登録から外れたそうだが、何とかならないものか。富士山は、日本人の誇りである。写真を撮ろうとしたのだが、逆光で写せなかった。しかし、久しぶりに富士山を見て、心から感動した。
10年以上愛用したヘッドフォンよ、さらば!
うちのマンションは完全防音ではない。いつ音楽を聴きたくなるかわからないから、夜間に音楽を聴くためにヘッドフォンが不可欠。音には妥協したくないから奮発して、オーディオテクニカATH-W1000とヘッドフォン・アンプ、オーディオテクニカAT-HA5000を買って10年以上愛用していたのだが...
音には満足していた。ところが、愛用のヘッドフォンを、うっかり踏み潰してしまった。なんということか!木端微塵、これはもう修理不能。40000円以上もして、いい音だったのに...踏んだ瞬間の「しまった!」という感覚は、今でも鮮明に覚えている。
こうなったら買い直すしかない。となると、同じATH-W1000を買うのもしゃくである。ヘッドフォン・アンプはハイエンドで世界中にこれ以上の製品は無い。こうなったらヘッドフォンもハイエンドしか無い。思い切って購入。オーディオテクニカATH-W5000。これしか選択肢は無かった。75265円。思いがけない出費になった。
さっき届いたのだが、ATH-W1000と違い、ハードケースが付いている。使わない時これに入れておけば、踏み潰す心配も無い。特別設計の53mmドライバー、ボイスコイルの線材はOFC8N無酸素銅線、ハウジングは縞黒檀、パッドはスペイン産ラムスキン。特長を書き並べたらきりが無い、全く妥協が無いこれ以上考えられない贅沢なヘッドフォン。音はどうか。おっかなびっくりで音を出してみると、ATH-W1000とは音の次元が違う!かつて経験が無いヘッドフォン・サウンド!これだけ出費したのだから当たり前と言えば当たり前だが、これは20年は使わないと元は取れないだろう。
10年以上、酷使に耐えてくれたATH-W1000に感謝!そして、さらば!
ヴァイオリンと弓の謎
ヴァイオリンのように、数百年前に作られたものが、骨董品としてではなく、実用品として取引されている例は、他に無いのではないか。実際、新作よりもオールドの方が明らかに優れているから仕方がない。
まず、ヴァイオリンだが、1500年代に、イタリアのアンドレア・アマティによって、現在の形になった。これが元祖である。ただ、改良の余地は沢山あった。そして、1600年代、アンドレアの孫、ニコロ・アマティによって、初めて完成度の高いヴァイオリンが作られた。ニコロにはたくさんの弟子がおり、名人ばかりだが、その中に、アントニオ・ストラディヴァリがいた。
ストラディヴァリは、ニコロ・アマティの楽器をさらに改良し、1700年頃、究極のヴァイオリンを作り出し、これでヴァイオリンの進化は止まり、改良の余地が無くなった。そして、グァルネリ・デル・ジェスを唯一の例外として、その後、ストラディヴァリに匹敵するか、超えるヴァイオリンを作った人が一人もいないのである。工場生産品から手工品まで、無数のストラディヴァリのコピーが現在に至るまで作られているが、寸分違わず作っても、近い音が出る楽器すら無く、ストラディヴァリとは雲泥の差なのである。とにかく、元祖ストラディヴァリに匹敵する楽器は、唯一グァルネリ・デル・ジェスを除いて、一つも無い。日本では、赤穂浪士が討ち入りしていた頃である。
そして、さらに不思議な事に、ストラディヴァリをはじめとするイタリアの楽器は、独特の鼻にかかったような音色の艶を持っており、この音色はイタリアの楽器からしか出ない。これも謎で、この音色は、大オーケストラをバックにしても、オーケストラの大音響を突き抜けてホール全体に響き渡る。このため、イタリアの楽器は、他国の楽器と値段が一桁違う。そして、この音色は、イタリア人が作らないと出ないのである。
イタリアにはヴァイオリン製作学校が有り、世界中から生徒が集まるのだが、同じ材料で、同じ場所で、同じスタイルで楽器を作っても、イタリア人が作らないと、この音色が出ないのだから、これはもう摩訶不思議な謎としか言いようが無い。とにかく、イタリアの楽器は特別なのである。ストラディヴァリとグァルネリ・デル・ジェスは、現在では数億円で取引されている。僕は、18世紀のイタリアン・ヴァイオリンは、値段が高すぎてとても買えないので、19世紀最高の製作者のヴァイオリンを愛用している。
似たような事が弓にも言える。弓も色々な形を経て現在の形になったが、現在の形の弓を最初に作ったのは、18世紀後半に活躍したフランス人のフランソワ・トウルテという名人で、これが元祖である。そして、不思議な事に、現在に至るまで、この元祖フランソワ・トウルテに匹敵するか超える弓を作った人が、一人もいないのである。それも、少々の差ではなく、雲泥の差なのである。
トウルテに次ぐ弓としては、ドミニク・ペカットという事になるが、僕はトウルテを知らない頃にドミニク・ペカットの弓を入手した。店で弾いて、これ以上は考えられないと一目惚れして、躊躇なく購入した。性能には満足していた。ところが、ある日、ある店で、フランソワ・トウルテを弾く機会に恵まれたのだが、もう差は歴然。ショックを受けた。トウルテが別格である事が分かったのだが、残念ながら、この弓は売り物ではなかった。それ以来、トウルテを探す長い道のりが始まる事になる。
トウルテは別格としても、弓作りの名人は、フランス人ばかりである。特に、フランス人でヴァイオリン製作者兼商人のJ・B・ヴィヨームの工房で、優れた製作者が沢山輩出された。ヴァイオリンは、それなりに複雑な構造をしており、工夫の余地は有るが、弓は単なる木の棒であり、しかも材料は、ブラジル産のフェルナンビューコという木が最高で、どの国の製作者も、例外なくこの木を使って弓を作っている。しかし、フランス人が作らないと、良い弓が出来ないのである。
単なる木の棒だから、寸分違わぬものを作るのは簡単である。しかし、フランス人が作らないと、良い弓が出来ないばかりか、元祖フランソワ・トウルテを超える弓を作った人は一人もおらず、それも少々の差ではなく、雲泥の差なのである。さて、トウルテを探す旅に出た僕だが、遂に、フランソワ・トウルテの弓を手に入れた。もう素晴らしいとしか言いようがない。
話をまとめると、ヴァイオリンはイタリア、弓はフランス。これが最高で、作り方の秘密は謎。他国のものとは値段が一桁違う。今でも世界中のヴァイオリン製作者達や、弓の製作者達が、最高の楽器を作るために研究を続けているが、もはやヴァイオリンも弓も改良の余地が無く、お手上げといった状況である。オールド・イタリアン・ヴァイオリンと、オールド・フレンチ・ボウは、これからも最高の楽器として君臨を続けるであろう。
なお、イタリアのヴァイオリン、フランスの弓は、高く売れるため、偽物も多く、一説によると、本物の10倍は有ると言われている。ラベルを張り替えるなどマシな方で、最初から偽物として売るためにヴァイオリンや弓を作る落ちこぼれ贋作者も多いのでたちが悪い。弾いてみて真贋を判断できる高度な能力を持った人は別としても、そんな人は滅多にいない。楽器の世界は、どんなに高価であっても信用取引が原則であり、まずは借りて、少なくとも2週間くらいは使ってみて、間違いなく高性能で健康な楽器または弓である事を確認してから、買う決断を下すことになる。誰にでも貸してくれるわけではないが、まずディーラーと信頼関係を築く事が必要である。また、本物と称する楽器や弓には鑑定書が付いている場合が多いが、本当に信用できる鑑定家が書いた鑑定書でなければ、何の意味も無い。有名鑑定書の偽物や、贋作を売りつけるために偽の鑑定書を書く輩も多いから、油断も隙もない。鑑定書が何枚付いていても、偽物は偽物である。間違いない買い物をするためには、まず信用できる店を選ぶ事。日本にも悪徳業者が多いので注意。ある信頼できる楽器商の方によると、世界中の悪徳業者をリストアップしたブラックリストが有るらしい。見せてくれと頼んだのだが、「命有ってのものだね」という理由で、見せてくれなかった。店で楽器を物色する時は、鑑定書の信用性も含めて、その楽器や弓に関する詳しい説明を受ける事である。遠慮は不要である。説明を嫌がる業者は信用できない。楽器の知識が豊富で、扱っている楽器に自信が有れば、どんな質問にでも答えられる筈だからである。それで、借りて弾きこんで、間違いないと判断出来て、初めて買う決断を下すことになる。安価な買い物ではないから、くれぐれも慎重に、完全に納得できない場合は、買うのを控えた方が良い。納得がいったら買う事になるが、まずは楽器または弓を引き取り、後に銀行振り込みという形が一般的である。店としても、いきなり現ナマを持ち込まれると、銀行に預けるまでは生きた心地がしないようで、現物は先に渡す代わりに必ず振り込むという約束を守る事が大切で、それを繰り返すことにより、ディーラーとの信頼関係が構築されていくことになる。とにかく、少しでも納得がいかないものは買わない事。不自然に安いものは、安い理由を必ず訊く事。でないと、買った後で売る時に、愕然とする事になる。皆様が良い楽器を手にする事を祈っている。
ヤマハ音楽教室のCM
ドミソ...シファソ...ドミソ.シファソ.ドミソ.というヤマハ音楽教室のCMがテレビで流れているが、シファソは音程が取りにくい。子供たちの音程は目茶目茶である。
ヤマハがどれくらいの授業料を取っているのかは知らないが、このCMが事実であれば、絶対音感はもちろん、まともな音感は身に付く筈が無い。
本当に絶対音感をはじめとする耳のいい子供に育てたければ、真に耳のいい先生を探して弟子入りさせて、音感教育を受けさせる事をお勧めする。
今日はテレビでサッカー三昧
2試合連続テレビ生中継。こんな事も珍しいが、日本が勝つことを祈って応援したい。日本のサッカーもレベルアップしてきた。去年のなでしこジャパンワールドカップ制覇は、その証左である。サッカーの醍醐味に浸りたい。
SACD
ここ数年、SACDの発売ラッシュである。今までのCDと互換性は無いが、中にはSACDハイブリッドとして、従来のCDプレーヤーでも再生できるものが有る(ただし、音質は、従来のCDの音である)。とにかく従来のCDとは情報量が格段に違い、音質も、かつてない音で蘇っているものが多い。中には、DGのフルトヴェングラーのようなハズレも有るが、いずれにしても、大半のSACDは、今までのCDと音の次元が違う。CDの規格が最初からSACDだったらと思うと残念でならないが、少なくともクラシックに関する限り、今後はSACDに移行していくと思われる。後は価格の問題である。3000円程度なら許されるが、4500円などと、とんでもない値段をつけるレーベルも有り、これは完全なボッタクリである。いずれはリーズナブルになるだろう。現在CDプレーヤーの購入を検討している人は、SACDに対応しているものを選ばれることを、強くお勧めする。値段は大差ないので、それでSACDの高音質を楽しめるのであれば、対応しているものを選ぶに越した事は無い。
SKE48南京公演延期
「南京大虐殺は無かったのではないか」という河村市長の発言が原因らしいが、戦前生まれで疎開していただけで実戦を経験しておらず、洗脳された思考だけが残って洗脳から抜けられない人は仕方がないとしても、河村市長が戦前生まれかどうかは知らないが、いくらなんでも不用意な発言であった。
僕の父は、戦前生まれで戦前の洗脳教育を受け、戦時中は疎開しており、実戦の経験は無い。終戦後も洗脳から抜けられず、「大東亜戦争はアジア解放のための戦争」、「南京大虐殺は無かった」、「従軍慰安婦は作り話」、「神風特攻隊で死んだ人は英雄である」と言っていた。母親の自殺を機に父親を説得し、一か月かけて全てを論破し、父親は考えを改めたのだが、これが原因で父親はうつ病になり、首吊り自殺してしまった。神に賭けて信じてきた説が嘘だったという事は、父親にとって、想像を絶するショックだったと思われる。それだけ、戦前教育の洗脳は強烈なものだったという事である。
父親の説を論破する決め手になったのは、母方の親戚で、実戦を経験した人たちの証言であった。父親を論破するために情報収集したのだが、南京で虐殺に加担した人もいれば、「本当にいいのか」と思いつつ「慰安」を経験した人もいた。これは事実だから、覆しようがない。この人たちは、戦争によって重い十字架を背負い、自分の過去を悔いていた。
僕の父と同世代でも、洗脳から解けた人もいる。その人の話によると、「神風特攻隊などばかばかしい。死んだ人は犬死に」。ただ、戦陣に散った命への供養の気持ちは勿論持っている。完全に心の整理が付き、心から平和を願っておられた。
史上最低の総理大臣、安倍晋三は、戦後生まれにもかかわらず、復古的な保守的右寄りの発言を繰り返している救いようのない馬鹿である。最近テレビに出る事が増えてきたようで、暗澹たる気持ちになる。戦争犯罪の清算は、もはや少なくなったが、実際に戦争を知っている人たちに、解決して欲しい。戦争を全然知らない平和主義者の僕たちまで、近隣諸国の怨念を受けるのは筋違いである。韓国や中国の人たちの苦しみを思うと、何ともやりきれない気持ちになる。ましてや戦後生まれでありながら、戦前の日本を肯定するアホどもには呆れてしまう。
最近の傾向
僕はSSIを使ってアクセス記録を取っているのだが、毎日必ず数人は来るのが、「ジョアン・ジルベルト」関係。もう80歳を過ぎたので、来日は困難だろう。不滅の名芸術家である。とにかく、生を聴いておいてよかった。次いで多いのが、真空管関係。12AX7(ECC83)、と6SN7のキーワードが多い。最もポピュラーな電圧増幅管なので当然であろう。同じく多いのが、マランツ#7関係。50年以上にわたって、これを超える音が無い不滅の名プリアンプだが、メンテナンスなどの手間を考えると、誰にでもはお勧めできない。その他、検索エンジンを通らず、毎日のようにアクセスしてくる常連客もいるが、果たして何を目的にしているのか。僕の演奏が目的であれば嬉しいのだが。。サイト開設から積もり積もって、アクセス数40万件突破寸前である。アクセスしてくださった皆様には、心よりお礼を申し上げたい。
USBハブが壊れた!?
今日突然、USBハブに接続しているUSB機器が、作動しなくなった。一見すると、正常に動作しているように見え、正常動作している機器も有る。何とも不思議だが、作動しない機器をマザーボードに直差しすると正常に動作する。こうなると、USBハブが怪しいという事になるが、確信までには至らない。ここは博打だが、USBハブを交換してみる事にして、注文した。これで解決すればよいのだが。。
波乱の人生だった。
幼い頃から父親の精神的、肉体的暴力に苦しめられていた僕だが、心のねじ曲がった父親の横暴に始まったこの人生。父親との対立の中、板挟みになった母親が、1999年、焼身自殺。黒焦げの遺体を見た僕は、重篤なPTSDに苛まれてしまった。もう父親は許せない。
父親を、厳しい修行で有名なお寺に放り込み、帰ってきた父親は、自分の愚かさに気づいているようであった。しかし、戦争に関する歴史観の違いなど、まだまだ解決しなければならない問題は多かった。それから毎日、夜遅くまで父親を説得し、ようやく父親は自分の非を認め、僕に土下座して謝った。
これで解決かと思ったのだが、僕は父親から信じてきた価値観の全てを奪ってしまった事に気づいていなかった。戦前の教育は、明らかな誤りである。しかし、「天皇陛下は神様」を基本とする刷り込まれた知識が、全て間違いだったと気づいた父親は、この上ないショックを受けたと思われ、その意味では、父親も戦争の被害者である。
価値観の全てが逆転した父親は、これが原因で、重いうつ病になり、病院に通っていたのだが、2002年、何の前触れも無く首吊り自殺。「未熟な老兵が、するべき事は、ただ一つ。速やかに命を絶つ事のみ。葬儀不要、焼き捨ててください」。これが遺書だった。「老兵」という言葉が全てを物語っているが、父親の苦悩は想像を絶するものであったと思われる。しかし、ねじ曲がった精神による横暴に苦しめられた家族の苦しみも、普通の家庭ではありえない想像を絶するものであった。
僕は今でも、両親の見合い結婚が間違いであったと思っている。これさえ無ければ、僕が生まれる事も無く、僕が人生の理不尽な苦しみを味わう事も無かったからである。栄光も名声も何もいらない。僕は今でも、自分は生まれなかった方が良かったと思っている。もちろん、生まれた以上、懸命に生き、我ながらよくやったとは思っているが。
そんなこんなで、無駄な数十年を浪費し、僕は今49歳。心の傷も回復し、長年副作用に苦しめられたメジャー・トランキライザーを飲まなくて済むようになり(最大の副作用は、ウインタミンとベゲタミンに含まれる塩酸クロルプロマジンによる白内障で、手術以外に解決策が無く、この手術により、僕の目はピント調節機能が失われ、近くを見る時はメガネが欠かせない。ヴァイオリンを弾くようになれば、楽譜を見るための新たなメガネを作らなければならない)、ようやく体が軽く感じるようになり、人生再出発。と行きたいところなのだが、僕は無駄に歳を取りすぎた。オーケストラなどの仕事は年齢制限で、もはやもらえない。今の唯一の目標は、江藤先生に叩き込まれたブラームスのソナタ全曲演奏会を開く事である。ブラームスは得意中の得意だから、これだけは絶対に実現させたい。
本音を言わせてもらえれば、コルンゴルトは素晴らしい作曲家である。誰も知らない頃に、コルンゴルトの素晴らしさに目覚め、江藤先生と二人三脚で日本初演までこぎつけた。しかも、これは日本の舞台で最初に響いたコルンゴルトの作品であった。権威に弱い日本の楽壇で、誰よりも早くコルンゴルトの素晴らしさに注目し、日本初演までこぎつけた僕の業績は、もっと評価されるべきである。今まで色々なソリストでこの曲を聴いたが、ヘタクソばかりである。曲の良さのかけらもわかっていないし、これでは弾く意味が無く、それでギャラをもらっているのだから、これは泥棒に等しく、日本の楽壇のレベルの低さを象徴している。凡庸な演奏しか出来ないソリストは恥を知って、稼いだ金を全て東日本大震災復興のために寄付し、死ぬべきである。こんな凡演ばかりでは百害あって一利なし。コルンゴルトの素晴らしさが広まる筈が無い。馬鹿という言葉でも形容できない救いようのないヘタクソソリストばかりである。こんなヘタクソに、生きている価値など無い。「身の程をわきまえて、生き恥を晒す前に、自分で自分の始末をつけろ!」と言いたい。
これからどうして生きていくかの目途は全く立っていない。40代で年齢制限というのも解せないが、これが現実だから仕方がない。しかし、僕が楽壇をリタイアした直接の原因は、某オーケストラのお偉方が、自分の過失を覆い隠すために、僕には何の非も無いのに、僕を一方的にクビにした事である。誰とは言わないが、僕はこの人間を、今でも殺したいと思っている。僕の心は怨念で煮えたぎっている。重職に就いたら命がけで全うするべきである。それが出来ない愚かでいい加減な俗物は死刑にも値する。最善の策は、この男が切腹して自分の罪を清算する事である。それが出来ないようであれば、僕が殺す。僕は命がけで生きている。いざとなったら自分で自分の始末をつけるつもりである。
とにかく、学生時代からコルンゴルトなどという先生たちも知らない作曲家の曲を信念を持って弾いていた僕だが、馬鹿な教師たちの評価は悲惨なものであった。日本の楽壇のレベルが如何に低いかを象徴する出来事だが、このまま知られざるパイオニアとしては終わりたくない。コルンゴルトの本当の素晴らしさが世に認められ、パイオニアである僕の業績が社会的に認知されることを願ってやまない。出来れば、数少ないコルンゴルト仲間の人たちと、日本コルンゴルト協会を設立する事が夢である。第一人者としての名誉も得られず、ただ日陰のパイオニアで終わる事は絶対に嫌だし、それを許すような日本の楽壇には何も期待できない。しかし、最高傑作であるヴァイオリン協奏曲日本初演から20年以上、「期待は失望の母である」という名言が、どうしても頭をよぎってしまう。