昨日注文して今日届くのだから、ビックカメラの対応は速い。それでUSBハブを交換したのだが、全ての機器が正常に動き出した。今まで使っていたUSBハブは10年近くになるが、これを長いとみるか短いとみるか。まあ、パソコン本体も8年で壊れたし、よくもってくれたという事にしたい。電子機器の寿命はこんな物なのだろう。
やはりUSBハブが原因だった。
ヤン・パネンカ
今となっては知る人も少ないかもしれない。チェコが生んだ20世紀最高のピアニストの一人である。若い頃から活躍していたが、服を着る時に腕をひねってしまい、腕に支障をきたし、10年間全くピアノが弾けなかった。
しかし、不屈の精神でリハビリを続け、遂に復活した。僕は、スメタナ・クァルテットと共演したドヴォルザークのピアノ五重奏曲の生を2回聴いたが、スメタナ・クァルテットの素晴らしさは言うまでも無く、特に、阿吽の呼吸で絶妙なアンサンブルを築き上げたパネンカの素晴らしさは忘れがたい。
パネンカは1999年に亡くなり、スメタナ・クァルテットも過去の団体になったが、来日数も多く、特にパネンカは、室内楽の名ピアニストとして、多くの日本の聴衆に忘れがたい感銘を与えた。
このコンビによるドヴォルザークのピアノ五重奏曲は、最良のスタジオ録音がCD化されている。これ以上の演奏は考えられない。曲はもちろん素晴らしいが、曲の素晴らしさを最大限に引き出したスメタナ・クァルテットとパネンカの息の合った素晴らしさに、言葉を失う。これは別格である。知らない人には、是非聴いていただきたい。
ホルスト「惑星」の二大名盤
ホルストの「惑星」といえば、まず作曲者ホルスト自身が指揮した古い録音が有る。マニアなら聴くべきだが、いかんせん録音が古く、演奏も、専門の指揮者には及ばず、資料的価値が有るという事以外、必聴盤とは言えないし、僕はLPで持っているが、CD化されているかどうかもわからない。
この曲は、演奏効果が高いので、オーディオマニア向けに録音に凝ったレコード(CD)が多く、一部の保守的な馬鹿評論家からは無視されてきた。しかし、純粋にイギリス音楽として聴くと、これは文句無しに名曲である。そして、その二大名盤が、カラヤンと初演者ボールトなのである。
まず初演者エードリアン・ボールト、ボールトには数種の録音が有るが、最も新しい1978年ロンドン・フィル盤が最も素晴らしい。まさに正統派イギリス音楽として、これ以上の演奏は考えられない。そして、この曲を大衆に知らしめたという意味では、1961年のカラヤンがウィーン・フィルを振った歴史的名盤。
この二大名演が、このたびSACDとしてリマスタリングされ、かつてない音質で蘇った。音質の改善度は想像を超えていた。比べてどちらがいいなどと言っていられない程、どちらも素晴らしい。しかし、カラヤン盤は、録音が古い分、音質の点で劣るのは仕方がない。しかし、カラヤンの巧みな指揮には唖然とするばかりである。当時のウィーン・フィルも本当に素晴らしい。
別に「惑星」の全てのCDを聴いたわけではないが、「惑星」に関する限り、この2つの演奏を聴けば十分である。そして、今回は音質の改善が想像を絶する素晴らしさ。SACDプレーヤーを持っている人は必聴である。
オーディオテクニカATH-W5000,AT-HA5000
ヘッドフォン、オーディオテクニカATH-W1000を踏み潰してしまい、仕方なく買い換えたATH-W5000だが、もう毎晩、その素晴らしい音の虜である。ヘッドフォン・アンプAT-HA5000との組み合わせで、世界中で、これ以上の音が出るヘッドフォンは無いのではないか。世の中にはボッタクリとしか思えない高価なハイエンド・オーディオ機器も多いが、このペアは、ヘッドフォンが約7万円、ヘッドフォン・アンプが約12万8000円と、常軌を逸したハイエンド・オーディオ機器のような、キチガイじみた値段ではない。オーディオテクニカは良心的である。とにかく、これ以上の音は考えられないのである。安くはないが、ボッタクリハイエンドメーカーの製品に比べれば、十分安い。夜音楽を聴きたくてたまらなくなる人達には、文句無しにお勧めしたい。
またまたマランツ#7
今回、ヘッドフォンを新しくし、ヘッドフォン・アンプをどこにつなぐか迷ったのだが、理屈だけで判断すれば、CDプレーヤーに直結するのがベストなはずなのだが、必ずしもそうならないのがオーディオの奥深さ。結局マランツ#7のプリアウト端子に接続するのがベストという結論に達した。これは理にかなっている。プリアンプとパワーアンプはペアであるが、この場合、ヘッドフォン・アンプがパワーアンプに該当するからである。
それにしても、素晴らしい音である。電気の知識も無いオーディオ評論家なる職業の人間が、「真空管アンプはCDのデジタル臭さを消す」とまことしやかにオーディオ雑誌に書いており、「本当かねぇ」と思っていたが、オリジナルマランツ#7を使ってみて、本当である事が分かった。
マランツ#7はとてつもないプリアンプである。単なる増幅器だから、回路自体はシンプルだが、蓋を開けて中を見ると、高密度ベークによるラグ配線。美しい配線の引き回しなど、これはもう芸術品である。これはとても真似できない。単に同じ回路で組めば同じ音が出るというものではない。これはオリジナルマランツ#7を入手して初めてわかった事である。それまでは、同じ回路で自作したアンプを使っていたが、オリジナルの音を初めて聴いた時はショックを受けた。
メーカーも50年以上プリアンプの王者として君臨するとは考えていなかったようで、真空管ソケットやピンジャックの取り付けがリベットであるなど、今後のメンテナンスに心配な面は有るが、それでもマランツ#7は不滅の名機である。とにかく、運を天に任せて、壊れるまで使うつもりである。
とにかく、これを超えるプリアンプは二度と現れないであろう。なお、真空管アンプは、使う真空管によって音が激変する。中国球などもっての他で、せめてロシア製。出来ればテレフンケン・ダイヤマーク。僕も色々試したが、やはり、テレフンケン・ダイヤマーク以上の音が出る球は無かった。
僕が持っているマランツ#7は、店頭展示品で殆ど使われていない50年以上昔に作られたオリジナルであり、ヴィンテージ・コンデンサなど、全て当時のままで、全く手を付けられていない。この素晴らしい音は、当時のパーツからしか出ない。オリジナルマランツ#7には、修理の際オリジナル以外の部品に交換されたものや、改造されたものも多く、オリジナルの音を保っているものは少ない。また、修理などすべて自分で行う必要が有り、誰にでもはお勧めできない。
不滅の人気にあやかってレプリカも作られたが、使われているコンデンサなどが異なり、僕はレプリカの音は知らないが、少なくとも中国製の真空管だけは交換するべきである。テレフンケンとまでは行かなくても、例えばロシア製ムラードなどでも音が激変するはずである。これをしないと「宝の持ち腐れ」である。中国球は安かろう悪かろうなので、良い音を求めるのであれば、絶対に使ってはならない。
僕のマランツ#7がいつまで良い音を奏でてくれるかわからないが、楽しめるうちに思う存分楽しみたい。
オーディオマエストロ
色々な検索キーワードで僕のホームページにやってくる人がいるが、毎日数人は来るキーワードで不可思議なのが、「オーディオマエストロ」。ちなみにグーグルで「オーディオマエストロ」を検索すると、とあるオーディオショップがヒットした。どんな店かわからないが、少なくとも耳が悪いが金だけは持っているオーディオマニアを食い物にするボッタクリショップではない事を祈りたい。確かに、僕は自分を「マエストロ」と名乗っており、ブログにはオーディオ関係の記事も多いのでヒットするのだろうが、「オーディオマエストロ」..一体何の意味が有るのか。
あれから一年
東日本大震災。東京は震度5強。とにかく突然揺れが来て、それが長時間続き、生まれてこんなに怖い思いをした事は無かった。しかし、自分の事で精いっぱいで、東北で想像を絶する大惨事が起きているとは、考えが至らなかった。幸い、僕のマンションは被害無し。
テレビをつけていたのだが、どの局も番組中断、コマーシャル無しで放送された東北の想像を絶する光景に言葉を失った。家という家がなぎ倒され、大量の車が津波に流されている光景は、僕の許容限度を超えていた。こんなに恐ろしい思いをした事は、かつて無かった。その後も、各放送局はコマーシャル無しで情報発信を続け、ようやくコマーシャルが復活したのだが、民間のコマーシャルは無く、公共コマーシャルのみ。とにかくこんな異常事態は、かつて経験が無かった。亡くなられた方々、行方不明の方々、大切な人を失った方々、これらの方々の心の痛み、無念さは察する事も出来ない程である。
しかし、天災の恐ろしさはともかくとしても、原発の事故は、明らかな人災である。自然を甘く見ていた設計段階からの欠陥を露呈してしまった。避難命令が出て、人がいなくなった街を「死の街」と言った大臣がクビになったが、あれはどう考えても「死の街」である。誰が批判したのかはわからないが、多分マスコミだろう。クビになった大臣が気の毒な気がするのは僕だけではないのではないか。
原発事故の後始末は、いつまでかかるかわからない。何十年もかかりそうで、気が遠くなりそうである。故郷を追われた人たちの苦しみは想像を絶するものが有る。もちろん、政府はパニックを避けるため報道規制しているが、東京にも放射性物質が飛んできている事は間違いなく、これは、10年スパンで見れば、癌患者の増加など、いずれ隠し通せない事実として明らかになるだろう。
とにかく、この震災で亡くなられた方々のご冥福や、心に傷を負った方々の、一日も早い回復を願うとともに、難航が予想されるが、何とか復興されることを望みたい。「頑張れ」という言葉の無力さを、痛感せざるを得ない。被災者の方々にとっては、自分の事だけで精一杯で、その苦しい心情を考えると、かける言葉が思い浮かばない。とにかく、僕としては、祈る事しか出来ない。自分の無力さを、これ程感じた事も無い。
我が師、江藤俊哉先生
子供の頃から江藤先生にヴァイオリンを教わる事は夢であった。紆余曲折あったが、桐朋のディプロマに合格し、僕は迷うことなく、江藤先生を希望した。幸い、先生のOKが出た。
最初のレッスンで、僕は、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲全曲を弾き、先生に絶賛された。もちろん弟子入りOK。これで喜んでいたのであるが、江藤先生は、その段階で、僕の長所から弱点まで、全てを見抜いておられたのである。
次の週のレッスンに張り切って行ったのだが、先生の態度が豹変しており、先生は他の仕事をしながら僕の演奏を聴いているのだが、ボウイングの違いや指使いの違いなど、一つたりとも見逃してくれない。そして、間違えた時の怒りの剣幕が半端ではない。なんて怖い先生なんだと恐怖心に苛まれた。それからも、次から次に技術的に難しい曲ばかり弾かされ、間違えると怒られる。これから数か月は苦しみの連続であった。
エルンストのエチュード(究極の難しい練習曲)を全曲上げた時、先生が言った。「フランクのソナタをやろう」。技術的に難しい曲ではない。気分が楽になったのだが、レッスンを受け続け、いよいよ仕上げという時に、もともと僕に向いている曲である事を先生は見抜いておられたようなのだが、それまでの苦しかったレッスンを思い起こし、弾きながら涙が出てきた。先生はゲラゲラと笑い、「お前何やってんだこのバカ」と言われ、その日のレッスンは終わった。
次の学校の授業で登校したのだが、みんなの僕を見る目が違う。明らかに変である。クスクスと笑っている人もいる。そしたら桐朋ディプロマ同期のY君が僕のところに来て、「時津さん、フランクのソナタで泣いたんだって!」。唖然。江藤先生は、あの僕が泣いたレッスンの後、来る弟子全てに「もっと感情をこめて弾きたまえ!時津君なんかフランクのソナタを弾きながら泣いたんだぞ!」と言いふらしていたらしい。これで僕は学校の有名人になった。その後も、江藤先生が教えてくれる奏法の素晴らしさに唖然としながら、怖いレッスンは続いて行った。
江藤先生は、国際的に通用する唯一の日本人教師であり、先生は、どんなヴァイオリニストとも、自分は同格だと思っていた。実力的にも、これは事実である。フランクのソナタをやる時に、僕はヘンレ版の楽譜を選んだ。校訂は神様メニューインであった。実際、メニューインの生でこの曲を聴き、感動した思い出も有るので、躊躇なくヘンレ版を選んだ。それで、楽譜に開放弦が指定されていたので、先生の前でそのとおりに弾いたのだが、先生が、「まさか!!」、「こんな大事な音を開放弦で弾くなんて、如何にも安易ですよ!!!」と激怒。僕が「でも..楽譜に書いてあるんです..」と言うと、「誰だその楽譜を校訂したのは?」、「メニューインです」と答えたのだが、普通の教師だと、ここで大ヴァイオリニスト、メニューインの指示を尊重するところなのだが、江藤先生は、「全く、メニューインの野郎とんでもないフィンガリング付けやがって!!」と怒りは収まらず、結局開放弦は否定された。こんな大ヴァイオリニストを一刀両断できる先生は、江藤先生しかいない。
そのうちにわかったのだが、先生はアメリカ流の合理主義者で、一定レベルをクリアしていれば、スケジュールさえ空いていれば、収入が増えるので弟子を受け入れる。しかし、レベルの低い生徒には楽しいレッスンをするだけで、決して怒らない。やっつけ仕事である。レッスン代はしっかり取る。先生が怒るという事は、愛弟子であるという証拠という事が、後にわかった。考えてみれば、怒るという事は、それだけエネルギーを消費するわけで、一日中怒りまくっていれば、とても体力が持たない。先生が、僕に本気で教えてくれていたことがわかり、嬉しくなった。
江藤先生の怒りで、今でも忘れられない事が一つある。僕のレッスン時間はいつもお昼頃だったのだが、たまたま先生は、いなり寿司を食べながらレッスンしていた。何をしながらレッスンしていようと、先生はかけらたりとも妥協なく僕のミスを聴き逃がさず怒る。本当に怖いが、いつもの事で、もう慣れっこだったのだが、難しい個所ならともかく、この時に限って、簡単などうでもいいような箇所で音を外してしまった。先生は口に含んでいたいなり寿司をブワッと吐き出し、あたりは米粒だらけ。かつてない剣幕で、「君ィ!駄目だよこんな簡単な所で音を外しちぁあ!!!!!」と怒鳴られた。これが、江藤先生のレッスンで、最も怖い思いをした経験であるが、今思い出すと、先生は命懸けで教えてくれていたのではないかと、今となっては涙ぐましい思い出である。
江藤先生は、日本では孤高の境地に達した先生であったため、敵も多く、悪口を言う人も多かった。しかしもちろん、江藤先生は、そんな戯言など意に介さず、ひたすら弟子を育てる事と自分の音楽活動に集中しておられた。ただ、一つだけ、江藤先生に関する噂で、許し難い全く根も葉もない噂が有るので、ここで明記しておく。それは「レッスンチケット」なるものの存在である。先生は生徒にチケットを高値で売り、それをレッスンのたびに一枚ずつ受け取っていたというのである。誰がこんな噂を最初に流したのかは知らないが、これは真っ赤なデタラメである。先生は、通常の一流教師と同じレッスン代しか取っていなかったし、チケットなど存在しない。僕の場合は桐朋の学生だったので、固定料金の学費さえ払えば、レッスン受け放題で、しかもディプロマは学費が安く、丸徳であった。全く低レベルな人間の戯言には呆れてしまう。
1987年、やっていた曲が終わり、先生「次何やる?」という言葉に、僕は勇気を出して、「コルンゴルトの協奏曲を弾きたいのですが」と言った。高校生時代に素晴らしさに目覚め、岸辺百百雄先生からは「知らない曲は教えられない」と、教える事を拒否された、しかし僕は名曲と信じる曲であった。そしたら先生はニヤリと笑い、「珍しい曲知ってるじゃん!」。こんなうれしそうな江藤先生を見た事は、かつて無かった。先生によると、先生は初演者でありヴァイオリンの神様であるハイフェッツの生でこの曲を聴き、曲の素晴らしさに目覚め、レパートリーにしたが、一度も頼まれず、舞台で弾いた事が無かった。それに、日本に帰ってからも、誰一人として教えていない。「君が最初だよ」との事。
先生は乗りに乗ってレッスンをしてくれていたのだが、その間、ショッキングなニュースが入ってきた。「ハイフェッツ死去」。僕も「神」の死にショックを受けた。そして次のレッスンに行ったのだが、先生は目があさっての方向を向いており、放心状態のように見えた。とりあえず弾きだしたが、先生は怒りもせず、数分で「はい、いいですよ。」と言って受講票にサイン。「え!もう終わり!?」と思っていたら、先生がポツリ。「ハイフェッツ死んじゃったねえ」。それからレッスン時間いっぱい使って先生のハイフェッツ談義が始まった。
ハイフェッツの素晴らしさの秘密を次から次に教えてくれた後(このハイフェッツの秘密は、ブログでも書けない江藤先生が僕だけに教えてくれた秘伝である)、「ハイフェッツは僕にとって神様だったんだよ。ヴァイオリンが弾けなくなっても、生きていてくれるだけで良かった。僕は人生の支えを失ってしまった。これからどう生きて行っていいかわからない」と言いながら、江藤先生は目に涙を浮かべて泣いていた。こんな純粋な先生の姿を見たのは、後にも先にもこの時だけである。先生は誰かとハイフェッツの話をしたくてたまらず、たまたまレッスンに行った僕が捕まったものだと思われる。
その後、桐朋ディプロマの年次試験でコルンゴルトを弾いたのだが、評価が真っ二つに割れてしまい、成績が悪かった。納得がいかないので、ヴァイオリンの先生たちに片っ端から電話したのだが、みんな良い成績を付けており、ヴァイオリンを知らない偉い先生たちが、とんでもなく悪い点を付けていたことが分かった。この時のヴァイオリンの先生たちの反応が面白い。やはり江藤先生は恐れ多いらしく、「江藤先生には、私は良い点付けました、と言っといてください」という先生が多かった。
江藤先生は激怒し、「バカな連中が変な点をつけやがって」と言われ、ここで僕に転機が訪れる事になる。先生が、「君の弾き方は岸辺君に習ったのだと思うが、悪い弾き方ではないから尊重してきた。しかし、これでは馬鹿な連中が変な点を付けるから、もっと聴衆にアピールする弾き方を教えてやるから、しばらく僕の言うとおりに弾いてみないか?」、僕は躊躇なく、「はい!お願いします」と答えた。
それからというもの、先生の教え方ががらりと変わった。僕が岸辺先生に教わったウィーン流の上品な弾き方は全て否定され、岸辺先生の前で時々かっこつけて弾くと、「そんな弾き方は巨匠になってやりたまえ!」と怒られていたような弾き方をすると、江藤先生は、「素晴らしい!、そんな風に弾けば馬鹿な連中が変な点を付ける事も無いだろう」といった具合で、天地がひっくり返った思いであったが、この弾き方こそ自分の弾き方であるという確信を得た。
そして、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲について、先生は、「これは絶対にいい曲だから、君が日本初演やりたまえ!」と言われた。僕は人生を賭けて、1989年に日本初演し、先生との約束を守った。これは日本で初めて舞台で取り上げられたコルンゴルトの作品となった。録音が残っており、ウェブでも公開しているが、この演奏がどのような評価を受けているのかはわからない。これから僕の人生がどう展開するかもわからない。しかし、コルンゴルトの協奏曲は文句なしの名曲である。ユダヤ人であったため、ウィーンからアメリカに逃れ、戦時中、いやいやながら映画音楽を書いたばかりに、「映画に魂を売った下等な作曲家」として楽壇から抹殺されていたが、現在では名誉回復して、20世紀を代表する作曲家の一人とされている。中でもヴァイオリン協奏曲は最高傑作とされている。僕は日本のパイオニアとして、いつか僕の業績が認められると信じている。
2006年のリサイタル直前、江藤先生が寝たきりになっているとの事で、お見舞いに行った。先生はベッドに横たわっており、奥様のアンジェラ先生が、「あなた!時津君よ」と江藤先生に声をかけると、先生は僕の方を向き、微笑んでくれた。これが江藤先生との最後のお別れになったのだが、会いに行って本当に良かった。
僕の真価を引き出してくれた江藤先生。どんなに感謝してもしきれない。こんなに凄い先生は、世界中にもいないのではないか。2008年、先生が亡くなられたらしいという電話が友達からかかってきた。数々の思い出を作ってくれた江藤先生。怖かった事、嬉しかった事など、全ての思い出が走馬灯のように頭を駆け巡った。
江藤先生への感謝の言葉は、とても言い切れない。本当に素晴らしい先生だった。先生が育てた無数の弟子たちは、現在の日本の楽壇をリードしている。こんなに凄い先生は、今後日本には現れないだろう。僕も先生の教えを後世に伝えていきたい。
最後に、江藤先生に教わった事は多いが、最後のレッスンで教えてくれた事について。江藤先生は、僕の音楽的感性を最大限に評価し、それを褒めちぎり、伸ばすだけ伸ばした後、最後のレッスンで、音楽を作る上で最も大切な事を教えてくれた。また、現在レッスンの友社から、江藤先生の、ボウイングやフィンガリングを書き込んだ楽譜が出版されており、これ自体は素晴らしい事だが、見てみると、江藤先生が一部の弟子だけにしか教えなかった秘伝は書かれていない。これでは出版自体は画期的ではあるが、江藤先生の奏法の一面が書かれているに過ぎない。これは、とてもブログでは書けないし、楽譜にも書きようが無いから仕方が無い。現在僕は、教える事はやっていないが、もしこの秘密が知りたければ、僕が教えるようになった後、僕に弟子入りしてください。出し惜しみするつもりは全く有りません。
SEO
ホームページに羅列していた、「江藤オケ」、「ジュセッペ・シノーポリの思い出」、「MIDI作品集」を、独立したページとし、サーチエンジンでヒットしやすくした(つもり)。これらは、僕が参加、ないし作成した自信作なので、一人でも多くの人に聴いて欲しい。
MIDI製作が遅々として進まない。
とにかく、和声、アゴーギク、デュナーミク、アーティキュレーション、その他、僕が血のにじむ思いで身に着けた音楽表現の技法、秘伝、裏技など、これらは一部の才能を持った人間が師匠に教わって身に着け、秘伝として無意識のうちに出来る境地に達するのであるが、MIDIではこれを全てボリュームとスピードで指示しなければならず、「自分で弾く時は無意識で出来るのに」と思いながら、演奏を完成させるには、大変な手間を要する。楽譜を入力するだけでも大変な作業なのに、これを「音楽」として完成させるには、その数倍数十倍の手間を必要とする。僕が作ったMIDIは、ショパンのエチュードわずか4曲だが、その中には、今まで身に着けた全ての音楽的表現法を総動員している。内面的表現から外面的表現まで全てである。聴き手に詳しい理論まで理解してもらおうとは思っていない。しかし、これらの技を駆使しないと、聴き手を感動させる事が出来ないのである。聴き手は無意識のうちに音楽的表現に惹きこまれるが、それがどれ程の歴史と知恵と労力によって生み出されたものかは、わかってくれない。わかる人は限られるので、別にわかって欲しいとは思っていないし、感動さえしてくれれば僕としては満足なので、それでもいいが、音楽の深みを少しでも知りたい人は、音楽理論をはじめとした学問に手を染められることをお勧めする。これからも、少しずつ曲を増やしていくので、音楽表現の秘密を、少しでも感じてもらえれば、幸いである。次は、ショパンのワルツ集を考えているが、これは、音楽的にエチュードよりはるかに難しく、いつになるかわからない。
CUBASE 6.5
スタインバーグから、CUBASE 6.5 がリリースされ、さっそくインストールしたのだが、まだバグが残っているようである。起動時に ASIO ドライバを正常に認識してくれない事が有る。正常に認識する事も有る。正体不明のバグだが、一日も早く改善されることを望みたい。
[追記]
その後、回避策が見つかり、ASIOドライバが正常に認識されたが、こんなつまらないバグは、リリース前に見つけて解決させておいて欲しいものである。
賭け事(オートレースと競艇)
僕は、競馬などの賭け事は一切しない。しかし、競馬や競輪は、レース中の駆け引きなど、最後まで勝負がわからず、スリリングで、見ていて興奮するのは事実である。さて、公営ギャンブルは他にもある。オートレースと競艇である。
テレビで時々中継が行われているが、勝負の決め手は最初の位置取りとエンジンのコンディション。はっきり言えば、最初の一周で事実上勝負が決まり、その後の挽回は不可能に近い。こんな面白味のないレースでも、お金を賭ける事が止められない人がいる。
賭け事が好きな人は、別に否定しないが、一種の「病気」である。競艇やオートレースのような面白味のないレースでお金を賭けるくらいなら、日本も法改正して、カジノを許可したらどうか。お金を賭けさせるという目的だけのためにレースを行う競艇やオートレースは、ファンを馬鹿にしている。
賭け事が好きな人を否定する気はないが、例えばパチンコなど、クギの設定と内蔵されているマイコンの設定で、いくらでも当たる台や当たらない台を作る事が可能で、これを何も知らずにスリリングに楽しんでいる人を見ると、気の毒な気になってくる。
僕には遺伝しなくて本当に良かったと思うが、僕の亡くなった母方の祖父は、将棋が強く、僕は駒落ちから教わっていたのだが、何とか上達し、平手で指せるようになったのだが、この祖父は、勝負に100円でもいいから賭けないと実力が出ない。「賭けよう賭けよう」と、散々誘われたが、僕は賭け事には興味はなく、これは拒否。そのうち祖父と将棋を指す事は無くなり、腕前も落ちて行った。それにしても、サイコロでもトランプでも、とにかく賭けないと楽しめない人は、人の趣味を否定する気はないが、気の毒な気がしてしまう。
真のギャンブルの楽しみを、賭け事好きの人たちに楽しんでもらえる環境が出来る事を願っている。金を賭けさせるだけに高額なお金を使う競艇やオートレースは滅びるべきだと思うのだが。
探し物
部屋が散らかっている。これはもう便利屋に頼むしかないような状況。いずれ頼もうと思うが、もう少し気力が出てくれば、自力でも何とかなるかもしれないので、もうしばらく様子を見ようと思う。
さて、僕は2007年に薬の副作用で白内障にかかり、手術しか解決策が無く、「神の手」と呼ばれる日本一のスーパードクター赤星隆幸先生に手術を受けた。人間の目がもともと持っている水晶体は、ピント調節機能を持っているのだが、白濁した水晶体の代わりに入れる眼内レンズは、ピント調節機能が無い。それで、手術の前に、近くが見えるレンズか、遠くが見えるレンズの選択を促されるのだが、僕は裸眼で車を運転したいので、遠くが見えるレンズを選んだ。この選択は正しかったと思う。
それで両眼手術を受けたのだが、当たり前だが、遠くは見えるが近くはピントが合わない。読書やパソコンなど、近くを見るためのメガネが必要で、メガネを作ったのだが、部屋が散らかっており、一番困るのは、メガネが行方不明になった時である。
メガネは枠以外のレンズは透明で、なかなか目に入らない。それに加えてメガネが無いので近くにピントが合わず、なかなか見つからない。今日も久しぶりにメガネが行方不明になり、一時間以上かけて、ようやく見付け出した。
これはもう不便極まりない。しかし、白内障のままでは運転免許の更新も出来ないので、手術は仕方が無かった。世の中にはアイデアマンがいて、現在では遠近両用の眼内レンズも発明されているようだが、これは保険が効かず、何十万円もかかる。とても僕の経済力では無理である。
僕は両親の自殺により、重篤なPTSD(心的外傷後ストレス障害)にかかり、強い薬を処方されていたのだが、ウインタミン、コントミン、ベゲタミンに含まれる塩酸クロルプロマジンには、白内障になるという副作用が有り、僕が40代の若さで白内障になったのは、何年も飲み続けたウインタミンとベゲタミンが原因と思われる。また、2006年のリサイタルで手が痙攣し、止まってしまったのもこれらの薬が原因である。アキネトンという副作用止めの薬を飲んでいれば、痙攣は起こらなかったかもしれない。このアクシデントは、ウィキペディアの僕の項目にも書かれており、何度消しても誰かが書くので、もう放置している。いずれにしても、薬は飲まないに越した事は無い。
精神科の医師でも、この副作用を知らない人が多く、ウインタミンなどのメジャー・トランキライザーは、よく処方される。特に、ウインタミンとコントミンは、メジャー・トランキライザーの元祖で、成分が同じで、よく効くので処方する医師が多い。
僕のPTSDはかなり改善し、もはやメジャー・トランキライザーは必要なくなり、軽い薬だけで日常生活できるようになったが、ウインタミン、コントミン、ベゲタミンには注意。特にベゲタミンはカクテル薬で、塩酸クロルプロマジンの他にもフェノバルビタールなどの危険な成分を含む最強の薬であり、余程重篤な場合以外は飲んではいけない。僕はベゲタミンによりふらつきを生じ、階段から落ちて、危うく死ぬところだった。足の骨折で済んだのは、物凄く痛かったが、不幸中の幸いであった。
ストレス社会で、向精神薬(メジャー・トランキライザー)や抗不安剤(マイナー・トランキライザー)などの世話になる人も多いらしいが、薬を処方してもらう時には、副作用や習慣性について、医師に必ず確認する事(一般的に、メジャー・トランキライザーは強力で副作用もきついが、習慣性は無い。マイナー・トランキライザーは効きはマイルドで副作用も軽いが、若干の習慣性が有る。医師の指導を受けずに急に止めたりすると、悪夢を見るなど、ろくな事が無い)。それを知らずに医師の言うままに薬を飲んでいると、白内障は最悪としても、思わぬ副作用で思いがけないアクシデントに見舞われることになる。
薬は場合によっては絶大な効果も生むが、やみくもに飲んではいけない。詳しくは知らないが、医者は薬を多く処方すればする程、収入が増えるという噂が有り、精神科の医者は、節操なく薬を処方する。医者の言いなりでは、副作用で、とんでもないしっぺ返しを食らう。皆様、ご用心。
オーディオインターフェース
僕は、スタインバーグの CUBASE、WaveLab を愛用しているため、マザーボードのオンボードオーディオは使えず、ASIO 対応のオーディオインターフェースが必要になる。それで僕は、M-Audio の製品を使っていて、音も良く、満足していた。
しかし、CUBASE のバージョンが 6.5 になりアップデートしたのだが、正体不明の ASIO 関係のエラーが出るようになり、てっきり CUBASE のバグだと思っていたのだが、WaveLab でも同じエラーが出るようになり、英語のエラーメッセージを読んでみると、どうやらこのエラーは M-Audio のドライバが出しているエラーの模様。CUBASE は無実であった。
M-Audio のサイトに行き、最新ドライバを探したのだが、最新ドライバでも 2010 年リリースと古く、これでは話にならず、やむを得ず、オーディオインターフェースを買い替えるしか無い。といっても、予算にも限度が有るので1万円前後で探したのだが、該当するのは TASCAM の製品しかなかった。選んだのは、US-144MKII。TASCAM には以前痛い目に遭わされているので、不安は有るが仕方が無い。
今日届き、オーディオインターフェースを交換したのだが、エラーメッセージは出なくなった。しかし、音質は M-Audio の方が明らかに上である。しかし、ASIO でエラーが出るようでは使えない。妥協して TASCAM を使おうと思う。
なお、TASCAM 製品を買ったら、TASCAM のサイトで最新ドライバとファームウェアを入手して適用する事を忘れずに。
TASCAM
昨日届いた TASCAM のオーディオインターフェースだが、やはり TASCAM は TASCAM であった。音質では M-Audio にかなわず、時々ノイズが出たり音切れも起こる。ドライバとファームウェアは最新。念には念を入れ、USB ハブを介さず、マザーボードに直結している。これでも音切れやノイズが発生するのだから、敢えて言うが、これは欠陥商品である。TASCAM というのはブランド名で、メーカーは TEAC である。日本の一流メーカーなのに信じられないのだが、やはり値段相応なのか。それにしても、こんな粗悪なインターフェースを売るとは、メーカーのレベルの低さを露呈している。M-Audio は、音は良かったが、事実上使い物にならず、もういくら探しても、手ごろで使いやすい ASIO オーディオ・インターフェースは無いので、TASCAM をしばらく使おうと思う。
[追記]
物は試しにと、マザーボードの USB3.0 端子に接続したところ、音飛びやノイズが起こらなくなった。メーカーとしても想定外の使い方だと思うが、音質は M-Audio にかなわないものの、何とか実用になりそうである。TASCAM としては、ホームメイドPCはサポートしていないらしいが、時代錯誤も甚だしい。自分に合った最新スペックのパソコンを手にするには、自分で組むしか無い。パソコンの構造が複雑化し、敷居が高くなり、以前程の勢いは無くなったが、ホームメイドPCはこれからも無くなる事は無いだろう。メーカーの真摯な対応に期待したいところである。
LUX CL32(CL-32,A3032)
以前、ヤフオクで落としたプリアンプ LUX CL32(CL-32,A3032、完成品やキットなど色々有るが、僕が落としたのは完成品の CL-32) だが、馬鹿な出品者のおかげでお金を丸損し、酷い目に遭ったが、オリジナルのマランツ#7を入手し、音の素晴らしさに驚愕し、LUX が如何に貧相な音だったかが分かった(ケースを開けてみたが、安物パーツばかりである。これは名門 LUX の恥としか言いようが無く、電気に無知なユーザーを馬鹿にしている。回路は悪くないので、良い音を出すためには、抵抗やコンデンサを高品位なものに交換するなど、大改造が必要であろう)。もちろん、マランツ#7と同じ回路で組んだ自作コピーと比べても、オリジナルのマランツ#7は別格である。
日本のメーカーのレベルの低さを再確認したと共に、こんな事なら CL32 なんて落札せずに、マランツ#7に集中するべきだった。オークションでは随分無駄遣いしたが、とにかく、もうオークションは懲り懲りである。良心的な出品者もいるが、恥知らずで馬鹿な出品者もいる。オークションからは完全に「引退」である。
グーグルの検索予測に差し止め命令
グーグルの検索予測は非常に賢く、僕は便利に利用させてもらっていた。これが無くなると、正直言って困る。「進みすぎた技術」は排斥されるのだろうか。わずかな「困る人」のために、こんな便利な機能が使えなくなるとすれば、これは、ネット技術の退歩を意味する。検索予測が無くならない事を願ってやまない。
パソコンのドライバアップデート(手作りパソコン)
久しぶりに ASUSTeK のサイトを訪問したのだが、僕が使っているマザーボード、RAMPAGEIII Black Edition の新しい BIOS やドライバがリリースされており、全て適用した。まず BIOS を最新版に更新し、各種ドライバを全てインストールし、ついでに nVIDIA のサイトに行き、ビデオカード(Geforce GTX 580)のドライバも最新版に更新、これで再起動。本当か気のせいかわからないが、パソコンのパフォーマンスが格段にアップした気がする。
ASUSTeK は、台湾のメーカーだが、昔からの伝統で、安定性よりもパフォーマンス優先で、新しい技術を次々に導入するメーカーであり、ドライバなどのメンテナンスも迅速で、僕としては、これ以上考えられず、昔からパソコンを組む時は、マザーボードは ASUSTeK 以外は考えられない。他のメーカーに浮気した事も無いではないが、やはり ASUSTeK は群を抜いている。もう浮気する事は無いだろう。
手作りパソコン(自作パソコンと呼ぶ人もいるが、パソコンを組む事は、ハンダ付けもケースの穴あけも無く、単に完成されたパーツをケースに取り付けてケーブルでつなぐだけであり、これは「自作」ではなく「組み立て」である。「自作パソコン」という言葉が死語になる事を願っている。単に組み立てるだけなら簡単で、とりあえず動くと思うが、真にハイパフォーマンスで信頼性の高いパソコンを組むには、それなりの技術は必要である。ドライバーでネジを締めるだけでも特別な要領が有り、これは信頼性に影響が出る。甘く見てはいけない。なお、パーツは仕様に従って使うべきであり、オーバークロックなどの反則は邪道である)は、もはや定着したが、昔よりも構造が複雑化し、敷居が高くなり、一時期のブームは去ったが、自分にピッタリで最新技術を満載し、かつ無駄が無いパソコンを手にするには、自分で組むしか無く、ブームが去った今、有名店だったブレスが閉店し、他にもショップによっては困っている店も有るようだが、細々とでもいいから、これからも続く事を願いたい。
手作りパソコンの敷居が高くなり、雑誌は広告が減って薄くなり、参考書も少なくなり、組み立ては難しくなり、自信が無い人は、無理して組む必要は無い。完成品のパソコンの品質は極限まで向上しており、自分としては NEC をお勧めするが(ちなみに僕は富士通が嫌いである)、パフォーマンスと信頼性が両立したパソコンを組む自信が無い人には、無理して組んでくれとは言えない。バンドルソフトなど無駄も多いが、一流メーカーの完成品をお勧めしたいし、価格破壊も進んでおり、自分で組むより安く済む事も有る。特に、手作りの場合、トラブルが起きた時に全て自分で解決する必要が有るが、一流メーカーの完成品であれば、メーカーのサポートを受けられる。このメリットは大きく、手作りパソコンのメリットは減ってきているのは事実であろう。それでもオリジナルな拘りを持ったパソコンが欲しい人は、自分で組むべきだが、それなりのスキルも必要になってきている。
ASUSTeK(読み方は諸説あるが、僕はアスステックと呼んでいる)のマザーボードは世界のPCをリードする最も優れたマザーボードであり、伝統を守っている事を考えても、多くの人にお勧めしたい。なお、先進技術によるトラブル(全く無いわけではない。先端技術にはリスクが伴う)が怖い人には、安定性重視のメーカーである GIGABYTE をお勧めする。台湾のマザーボードメーカーとしては東西横綱だが、製品の性格は対照的で、僕は ASUSTeK が好きだが、GIGABYTE を好む人も多いので、あとは個人の好みで選べばいいと思う。
他にも世界中に個性的なマザーボードメーカーは有り、PC互換機なら事実上CPUはインテル(インテル以外の互換CPUは全くお勧めできない)と決まっているが、マザーボードはパソコン全体の性格を決める最も重要なパーツであり、店で選んでいると、特徴的で個性的な製品が多く、時間がどんどん過ぎてゆく。製品に詳しいスタッフがいる店で、スタッフに色々教えてもらいながら選ぶと良い。なお、チップセットもCPUと同じくインテルに限る。周辺機器メーカーによっては、インテル以外のチップセットはサポート外としているメーカーも有るので、パソコンの世界ほど「長いものには巻かれろ」のことわざが相応しい世界は無い。
昔よりも敷居は高くなったが、やはり自分にピッタリで無駄の無いパソコンを手にするには、自分で組むしか無く、ここは安易にメーカー製の完成品に走らず、挑戦して欲しいものである。良心的な店であれば、組み方はいくらでも教えてくれる。逆に言えば、スキルの有るスタッフがいない店は避けた方が良い。個別の店の名前は出せないが、パーツに詳しいスタッフがおらず、サポートも手薄な店は、自然淘汰される運命にある。それに、最先端のパーツをいち早く使うには、手作りパソコンしか無い。組み上げて最初にスイッチを入れる時はドキドキするが、無事に動いた時の喜びも、自分で組んだ経験者でなければわからない。皆様に、メーカー製完成品では味わえない喜びを味わってもらいたいものである。
ハマった...(USB3.0)
昨日パソコンのドライバの最新化を行ったのだが、USB3.0 に接続している TASCAM のサウンドユニットから音が出なくなった。デバイスマネージャで見ると、USB3.0 コントローラーの1つにビックリマークが付いている。再起動したり、一旦デバイスを削除したり、ドライバをアンインストールして、再びインストールしても駄目。古いドライバを試しても駄目。もう何をやっても駄目で、これはマザーボードの故障かと思ったのだが。。
ここで閃いた。サウンドユニットを外してドライバをインストールしてみよう。というわけで、サウンドユニットの接続を外し、ドライバをアンインストールし、再びインストールすると、あら不思議、認識するではないか。そこで、サウンドユニットを接続すると正常に認識し、音が出た。2時間悪戦苦闘したが、思いがけないトラブルは起こるものである。これが手作りパソコンの難しさ。トラブルを全て自力で解決しなければならないので大変である。
教訓: Renesas の USB3.0 ドライバをインストールする時は、接続している機器を外す事。
ASUSTeK のマザーボードはハイ・パフォーマンスだが、先進技術を先取りしているため、このような思いがけないトラブルに見舞われることが有る。はっきり言って、稀に起こるというわけではなく、良く起こる。前の記事で ASUSTeK を絶賛したが、今回のトラブルを考えると、ベテラン向けと言えなくもない。これが嫌な人は、台湾のもう一つの雄、安定性重視の GIGABYTE の製品を使われる事をお勧めする。
TASCAM US-144MKII
以前買って使っていた TASCAM US-122MKII は、コオロギの鳴き声のようなノイズが出たり、音切れなども頻発し、とても使い物にならず、他社製品に買い替えて、頭にきたので US-122MKII は、オークションにも出さず捨ててしまった。結局 TASCAM に舞い戻る羽目になったが、またコオロギの鳴き声は懲り懲りなので、ワンランク上(チャンネル数が増えただけだが、値段は大差なく、一抹の期待を持って)の US-144MKII を選んだ。今回買った US-144MKII は、最初こそ音が硬かったが、使ううちに音が良くなり、USB3.0 端子に接続する事により、音切れやノイズも皆無になった(思いがけない USB3.0 のトラブルには見舞われたが)。しかし、4in4out は僕にとってオーバースペックであり、デジタル入出力を使う事は、ます無いと思われるが、まあいいかという感じである。US-122MKII を使っていた頃のパソコンには、USB3.0 端子が無く、もし USB3.0 端子が有れば、どうなっていたかわからない。
しかし、メーカーは USB2.0 で動くと謳っており、USB2.0 でまともに動かない事は詐欺に等しく、設計の甘さを露呈している。ちなみに僕のパソコンは作ったばかりで CPU もマザーボードも最新最強である。USB3.0 で使う事は、メーカーとしても想定外の使い方であり、偶然正常動作したから良かったが、運悪く動かなかったら US-122MKII に続いて捨てる羽目になっていたかもしれない。とにかく、USB3.0 で使わない限り、酷いサウンドユニットであり、メーカーには真面目な設計を望みたい。