僕は今でも、自分のヴァイオリン演奏能力と実績に、誇りを持っている。しかし、仕事をしようとしても、年齢制限で駄目。リサイタルを開いたら大赤字。今の狭いワンルームマンションでは教える事も出来ない。結局、考えれば考える程、八方ふさがりになってしまう。今のままでは、「立つ鳥跡を濁さず」で、引き際を潔く決めるしか無くなってしまう。とにかく今は、命がけで生きて、いざとなったら自分で自分の始末をつける。これしか無くなってしまう。
人は自分だけの力では生きていけない。僕の力になってくれる人はいないのか。吉田拓郎の「今日までそして明日から」のように、時には誰かの力を借りて、時には誰かににしがみついて、時には誰かと手を取り合って、生きていく事は出来ないのか。それにしても、「私は今日まで生きてみました」というのは、名言だね。
とにかく、自力だけでこれから生きていく事は不可能に近い。いずれ「最期の時」が来るだろう。覚悟は決めているが、ひょっとすると、思いがけないきっかけが来るかもしれないという希望は消えない。天下の名曲であるコルンゴルトの協奏曲を日本初演しても、日本の楽壇は僕を拾ってくれないのか。一度、僕の演奏を聴いてみて欲しい。ハイフェッツを除いて、誰も及ばない演奏である事がわかるだろう。これでも、心が動く人はいないのか。いずれにしても、両親が残してくれた遺産が底をついたら終わりである。あとは、「天の助け」に期待してしまう。
こんな事を書くと、また「死ね」とか「自殺しろ」などと、嫌がらせのコメントを書いてくる奴がいるかもしれないが、掲載しないし、無視するだけなので、僕は何のダメージも受けない。このようなコメントを書く奴は、生きている価値も無い人間のクズである事を自覚するべきである。とにかく、何とか生きて行きたい。「誰か助けて!」というのが本音である。
最期はきれいに決めたい。