僕がエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトという天才作曲家の素晴らしさに目覚めたのが1979年。高校生の時であった。もちろん、当時は誰も知らず、先生たちも知らず、素晴らしいヴァイオリン協奏曲を日本初演する事が、僕の人生の目標になった。これで僕の人生が決まった。紆余曲折あり、江藤先生他の先生たちのおかげで演奏としての体裁を整え、1989年に日本初演に至った。
今では、日本でも、それなりに、コルンゴルトは知られるようになってきたが、まだまだ欧米のように浸透していない。
僕は、日本初演に当たり、当時できる最善を尽くした。その成果はウェブで公開している演奏でも明らかだと思う。しかし、それでも日本の楽壇は僕を認めてくれない。様々なヴァイオリニストたちの凡演と、僕の録音を、比べてみてほしい。ハイフェッツの秘密をはじめとする秘技を網羅した僕の演奏には、足元にも及ばない事がわかるであろう。
僕から見れば、今までコルンゴルトの協奏曲を弾いたヴァイオリニストはヘタクソばかりである。もちろんハイフェッツの秘密など、かけらもわかっていない。僕はこのまま日陰のパイオニアで終わるのであろうか。
とにかく、これだけの業績を残しても、今の僕には、年齢制限で、オーケストラのテュッティの仕事すら来ない。こんな事が許されていいのか。忌まわしい故郷には帰りたくないから、両親が残した遺産が底をついたら、自分で自分の始末をつけるしかない。
フランスで師事したハイフェッツの弟子であるピエール・アモイヤル先生が言った。「日本人は、みんな小奇麗にうまく弾く。しかし、君のような感情表現をする日本人には初めて会った。日本に帰ったら先生になって、君の感情表現を、日本の子供たちに教えて欲しい」。弾く仕事が出来なくても、教える事は出来る。とにかく仕事が欲しい。誰か助けてくれないものか。
世間からちやほやされていい気になっているヴァイオリン奏者たちは、コルンゴルトのようなマイナーな作曲家のパイオニアなど眼中に無いのだろうが、もう一度、気を取り直して僕の演奏を聴いて欲しい。そして、誰でもいいから、僕の力になって欲しい。
でなければ、いずれ金が底をつき、僕は死ぬしかなくなる。僕は今50歳だが、もう年齢的に世に出るのは不可能なのだろうか。コルンゴルトの最高傑作を日本初演しても、世の中は僕を抹殺するのか。悲劇のパイオニアとして死ぬしかないのか。こんな事では、世も末である。誰か僕を助けてください!
日本の楽壇には、もう一度「コルンゴルト」という偉大な作曲家を再認識し、僕の業績を評価し、僕に再び晴れ舞台を与えてくれる事を願いたい。
コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲(MP3)
時津 英裕(Vn)
金 洪才指揮 九州交響楽団
日本初演(1989年)