東日本大震災。東京は震度5強。とにかく突然揺れが来て、それが長時間続き、生まれてこんなに怖い思いをした事は無かった。しかし、自分の事で精いっぱいで、東北で想像を絶する大惨事が起きているとは、考えが至らなかった。幸い、僕のマンションは被害無し。
テレビをつけていたのだが、どの局も番組中断、コマーシャル無しで放送された東北の想像を絶する光景に言葉を失った。家という家がなぎ倒され、大量の車が津波に流されている光景は、僕の許容限度を超えていた。こんなに恐ろしい思いをした事は、かつて無かった。その後も、各放送局はコマーシャル無しで情報発信を続け、ようやくコマーシャルが復活したのだが、民間のコマーシャルは無く、公共コマーシャルのみ。とにかくこんな異常事態は、かつて経験が無かった。亡くなられた方々、行方不明の方々、大切な人を失った方々、これらの方々の心の痛み、無念さは察する事も出来ない程である。
しかし、天災の恐ろしさはともかくとしても、原発の事故は、明らかな人災である。自然を甘く見ていた設計段階からの欠陥を露呈してしまった。避難命令が出て、人がいなくなった街を「死の街」と言った大臣がクビになったが、あれはどう考えても「死の街」である。誰が批判したのかはわからないが、多分マスコミだろう。クビになった大臣が気の毒な気がするのは僕だけではないのではないか。
原発事故の後始末は、いつまでかかるかわからない。何十年もかかりそうで、気が遠くなりそうである。故郷を追われた人たちの苦しみは想像を絶するものが有る。もちろん、政府はパニックを避けるため報道規制しているが、東京にも放射性物質が飛んできている事は間違いなく、これは、10年スパンで見れば、癌患者の増加など、いずれ隠し通せない事実として明らかになるだろう。
とにかく、この震災で亡くなられた方々のご冥福や、心に傷を負った方々の、一日も早い回復を願うとともに、難航が予想されるが、何とか復興されることを望みたい。「頑張れ」という言葉の無力さを、痛感せざるを得ない。被災者の方々にとっては、自分の事だけで精一杯で、その苦しい心情を考えると、かける言葉が思い浮かばない。とにかく、僕としては、祈る事しか出来ない。自分の無力さを、これ程感じた事も無い。