3歳でヴァイオリンを始め、ひたすら音楽一筋に生きてきた。その間、低レベルな学校教師などのいじめに遭ったり、強烈なライバルにやられたり、苦労の連続だったが、それでも音楽に対する情熱が失われる事は無く、桐朋学園のディプロマに合格し、当時日本一だった、故・江藤俊哉先生に師事し、愛弟子として可愛がってもらった。
僕の転機になった出来事は、高校二年生の時に、桐朋の夏期講座を受けに行き、合間に、渋谷のマニアックなレコード店「バイロイト」に行った事だった。そこで見つけたヴァイオリンの「神」であるハイフェッツの海賊盤を見つけて買った事で、僕の人生が定まった。
とにかく、その盤に入っていたコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲に、一発で魅せられてしまったのである。1979年の事である。詳細は既に書いているので避けるが、この曲を日本初演する事が人生の目標になり、1989年に日本初演が実現した。今ではコルンゴルトも、それなりにメジャーになったが、今もって、ハイフェッツを除いて、自分を超える演奏は無いと自負している。
しかし、世の中は冷たい。コルンゴルト日本初演という「歴史的業績」を認めてくれる人は一人も現れず、日本ではコルンゴルトは今でもマイナー。オーケストラの仕事では「いじめ」に遭い、精神的には強くなったが、大変な経験だった。時は流れ、とうとう年齢が50歳になってしまった。
今でも音楽への情熱は陰る事が無いが、この年齢では、もはや年齢制限でオーケストラのテュッティの仕事すら来ない。僕は、一介の平凡なヴァイオリン弾きとしか思われていないようである。
しかし、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲は、まぎれも無く名曲であり、僕は自分の演奏に誇りを持っているし、こんな僕に仕事を与えない日本の楽壇は、狂っていると思っている。低レベルな日本の楽壇には呆れんばかりである。日本の楽壇は、馬鹿だらけである。
今、50歳。まだ人生は長い。余談だが、僕は両親を自殺で失い、現在は、地元の会社のかけらばかりの役員報酬と、両親が残した遺産を食いつぶしながら生きている。忌まわしい故郷には帰りたくない。僕は命懸けで生きており、いざとなったら、自分で自分の始末をつけるしかないと思っており、覚悟も出来ている。お金が底をついたら終わりである。
しかし、本音を言うと、自分には、まだ価値が有ると思っている。コルンゴルト日本初演は「歴史的業績」であり、これを認めない日本の楽壇は、何を考えているのかと思う。幸い、録音が残っているので、一度僕の演奏をお聴きになり、僕の演奏に何かを感じるものが有れば、どうか僕の力になって欲しい。
とにかく、これだけの業績を挙げて、日陰のパイオニアとして、のたれ死にするのだけは嫌である。僕が、どこにでもいるような、平凡なヴァイオリン弾きでない事は、録音を聴けばわかるでしょう。誰でもいいから、僕を助けてください!