エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトは素晴らしい作曲家である。幼少時から才能を認められ、「神童」、「モーツァルトの再来」としてウィーンのスター作曲家になるが、ユダヤ人であったため、アメリカへの亡命を余儀なくされ、アメリカでは、クラシックの作曲は封印し、もっぱらハリウッドで映画音楽を書く事で生計を立てた。
戦後、映画音楽に別れを告げ、クラシック音楽の世界に戻るべく、新作を携えてウィーンを訪れるも、当時の音楽事情などから楽壇で認められず、「映画に魂を売った下等な作曲家」というレッテルを張られて、失意の中でハリウッドに戻り、結局ハリウッドで60年の生涯を終える。戦後に作曲された「交響曲」は、必ずしもコルンゴルトのベストフォームではないが、三楽章は、廃墟と化したウィーンを見た悲しみが表現されているような気がする。
物事に、「たら、れば」は無しと言われるが、コルンゴルト程、運に見放された天才作曲家もいないのではないか。例えば、コルンゴルトが最も信頼していた指揮者はブルーノ・ワルターであったが、彼が、1930年代にウィーン・フィルと録音した数々の名演奏の中に、「空騒ぎ」でもシンフォニエッタでも、一曲でもコルンゴルトの作品が含まれていれば..
また、ナチス・ドイツのオーストリア併合が、もう少し遅れて、オペラ「カトリーン」が初演されていれば..更に、戦後の弦楽セレナーデ初演での指揮者はフルトヴェングラーで、これは、明らかなミスキャストで、フルトヴェングラーは名指揮者だが、ドイツ人で不器用な指揮者であり、これが、オーストリアの指揮者、当時であれば、例えばクレメンス・クラウスとか、当時中堅であった、職人のカール・ベームでも、とにかく、オーストリアの指揮者であれば、戦後のコルンゴルトの評価は変わっていたのではないかという気がする。
戦後に成功した唯一の作品は、ハイフェッツが世界初演したヴァイオリン協奏曲だが、この曲は、あまりにも技術的に至難であったため、ハイフェッツの後に、弾いたヴァイオリニストがおらず、忘れられてしまった。現在ではヴァイオリンの演奏技術が進歩し、ヴァイオリン協奏曲のメジャーなレパートリーとして、様々なヴァイオリニストが取り上げているが、個人的な意見を言うと、曲の真価を具現した演奏は、ハイフェッツ以外に無い。
僕は、高校生時代の1979年に、偶然この曲を知り、「これは名曲だ!」と、1989年の日本初演まで行き着くが、この曲に関わったために、人生が変わってしまい、大変な苦労を味わった。今からでも、僕の演奏を聴いていただき、この曲の真価が明らかになり、僕の音楽人生が明るく変化する事を願いたい。